[コメント] 薔薇の葬列(1969/日)
哲学らしきモノとアートらしきモノを合体させてはみた。無意味なカットの不連続性やら時間軸の実験もしてみた。
但し、肝心の父と息子のホモセクシャルな近親相姦という風呂敷を畳めるだけのストーリー構築に対する技術はなかった。否、「技術」ではなく「意志」がなかったのかも知れない。
映画がアートとしての発信源足るか否かが確かめられた時代。それは現代からすれば巨匠と呼ばれる一部の人々にのみ許される「余裕」でしかない。
本作は勿論「余裕」なんかありゃしない。当時では「革新」「実験」「挑戦」。しかし現代からすれば映画をアートに昇華させるべく、ストーリー性なんて、人間の内面なんて、描く「意思」はさらさらなかった実験作品。私からすればソレは「甘え」。
映画をごく一部の人々のモノに限定しようとする愚かな行為でしかない。映画をアートと称し、弄ぶ行為にしか見えなかった。
もちろんソレは現代からの視点。私がもし当時の学生でゲバ棒振り回していた立場だったら少しは違った感想かもしれない。だが私なら『昭和残侠伝』でも見て体制の矛盾に震える学生になりたかった、そんな熱い学生でいたい。この作品はあまりにも醒めているっていうか頭でっかち過ぎて気色悪い。
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