[コメント] マンハッタン(1979/米)
アレンがヘミングウェイを愛していたことが良くわかる映画でした。ヘミングウェイとは孫娘ではなくアーネストの方ですよ。
この映画で画面だけ見ていると、主人公のアイザック(ウッディ・アレン)こそ社会からズレているように見えるが、実は彼の周囲に集う者のいいかげんさの方がズレているのであって、知性とか知識などというものがいかに無益で意味のないものであるかを逆説的に表現しているということなんですね。
かつてチャップリンが若い女性と次から次へと結婚を重ね、それが罪でアメリカから追放された歴史がありますが、その理由の一端がこの映画で表現されたわけです。
愛すること、そして愛されることに理屈などない。理屈を前提に愛することは長続きしませんね。タルコフスキーでさえ『惑星ソラリス』で同じことを言ってます。
この映画で最後アイザックが若い女性の元へ戻る、いや走りますよね、このシーンがいい。年だからだんだん息切れするんだよ。その動きにカメラが同じ速度でついていきますね。そしてトレーシーとの短い会話。臭いシーン。目を覆いたくなるようなクサいシーンですが、このシーンに理屈抜きの愛情を感じるわけですね。そしてガーシュインの音楽とモノクロの映像が残像となって一緒に残ります。映画は映像と音楽のコラボですからね。
さて読書好きのアレン先生がヘミングウェイの孫娘を愛して愛して理想を高く求めていたことは想像に難くありませんね。ここであのヘミングウェイの孫を使う。全然美人じゃありませんよ。真っ正面から見たら目がつぶれるほどブスです。でもアレンはヘミングウェイを愛していた。孫じゃなくておじいさんの方をね。
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