[コメント] オール・ザット・ジャズ(1979/米)
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フォッシーのダンス(もしくは振り付け)は奇をてらったものが多かった。もちろんそれは卓越した技量に裏打ちされたものではあるのだが、つまり爽快さとか伸びやかとか躍動感とは違うもの、身体を使った「パフォーマンス」とでもいおうか。そのパフォーマンス的な動きが決して明るいとは言い難いこの作品にはとても合っていた。
終焉の祝祭とでもいうかのように2時間の作品の半分をフォッシーは幻想シーンに費やした。 人生をショータイムと称し生きているうちは楽しまなければ損と半ば強制的に謳歌させられているギデオン。 まさにそれはフォッシーの半生とダブるわけだし、それを周囲も承知の上で見ている。 実際ケイティ役の彼女はフォッシーの愛人を公言して憚らず、彼の亡くなった後に正妻とともに(!)フォッシーの半生を描いたミュージカルを制作するのだ。 男の甲斐性とはまさにこの事だ。 正妻も愛人も、そして数々のガールフレンドも不幸にしない。それは本人が女性とベッドをともにすることは最大のコミュニケーションだと信じて疑わなかったからである。
そういう視点でこの作品を観ると質が俄然違ってくる。ショウビズの世界に生きてはいても彼の頭の中に金銭は浮かんでいない。本当に人一倍ショウと女性が好きだっただけの男の切ない物語なのだ。
最後の最後、亡骸となった彼のビニールケースのチャックが引かれ、彼は「物」となる。そして聞こえてくる「ショウほど素敵な商売はない」の軽快な楽曲。観客はそこで「はい、今日のショウはここでおしまい」とばかりにエンドロールに送られて映画館を出る・・・。ここまで徹底した演出もそうはない。
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