[コメント] 大怪獣ガメラ(1965/日)
旧『ガメラ』がノスタルジー映画の枠を出ない理由は、中途半端に子供向けのディザスター映画だからだ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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まずガメラという存在自体が曖昧である。たった一人の子供を救うなどということで子供の人気取りをしておきながら、ちゃっかり無意味な都市破壊をして怪獣映画好きの溜飲を下げることも忘れていない。火を好むならばわずかな火災を起こして事足りんとするより、活火山を捜してそこでエネルギー補給をするほうがずっと理にかなっている。
子供の描き方もいい加減だ。あくまで自分のペットの延長線上にガメラをかばい続けるのかと思えば、この子供は大島へ密航して「Z計画」なる得体の知れないプロジェクトの基地に入った途端豹変する。この、ガメラを無人の宇宙に送り出すために計画されたとしか思えない奇妙なロケット基地に少年は夢中になり、ガメラがこれで火星に飛ばされても別れを惜しむ素振りも見せず、「いつかガメラに逢いにゆくために科学者になる」などとボケる始末だ。生物のいない惑星に送られること=殺されることと何故理解できないのだろう。のちのちガメラは宇宙飛行ができるようになる(お粗末な)伏線か?
そうしたわけで、ガメラ撃退派の意見にまんまと丸め込まれるマヌケな子供として少年は描かれる。これが子供だまし以外の何だというのだろう?こんなことであれば、後期の全く少年たちの味方となったガメラのほうがまだ得心はいく。災厄の権化であるのか、あるいは子供に優しい暴れん坊であるのか。その書き分けが明確になされなかったところに、この第一作の煮え切らなさはあると考える。
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