[コメント] 大怪獣空中戦 ガメラ対ギャオス(1967/日)
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ギャオスの存在感て何だろう。
平成ギャオスは和製怪獣史上最悪のリアリズムを培ったが、それに繋がる妙な存在感はすでにこの映画のギャオスにも見受けられる。あんなちゃちな着ぐるみで、しっかり怖い。
かなり血生ぐさい演出が、恐怖感に実在感を与えている。夕闇になると背後から飛来するんじゃないかっていう、子供の頃、怪獣に感じた実在感を漂着したギャオスの実寸大の足が表現していた。
映画としては、前半の建設反対運動のくだりがこれまた別の意味で生々しいのに戸惑う。筋が一貫しているので、なおさら戸惑う。
高速道路建設に対する反対運動から始まり、主人公の本郷功次郎は工事主任なのだが、どちらかと言えば反対運動の被害者という扱い。しかも反対運動の実態は、地主達が土地の売却代金を吊り上げるための画策であったという、子供向けとは思えない生々しい設定。反対側が悪として描かれ、“欲をかくな”という教条の槍玉に挙げられてしまっているのだ。ご時世とはいえ、建設側が善として描かれていること、近代的な無暗な開拓が怪獣映画の中で思いっきり肯定されたこと(山火事起こしてガメラを呼べ!って、おいおい)と併せて、やっぱりちょっと戸惑う。当時の高速道路建設の需要を昨今の道路族の問題と同一視するわけじゃないが、怪獣映画の基本的スタンスとして、どちらかと言えば切り崩される側の悲しみであって欲しいじゃないですか…
製作者にそのつもりがなくて慌てるのだけれども、前作のバルゴンもそうだけど、このギャオスも客観的には天罰怪獣の位置にいる。だとすると、何故か彼らを憎み、何故か人類に味方し、そして火を好むガメラは、文明社会による開拓を全肯定する者、西欧近代思想的な自然駆逐の象徴として見えてきたりもする。それが“子供の味方”というオブラートに包まれていると思うと…。まだ“純粋な子供の味方”としてのガメラ像はこの段階では確立されていなかったのかもしれない。破天荒なヒーロー、アイドル気質がいまいち活かされていない感じがする。
製作者にイデオロギーはなく、当時の日本社会の常識に従ってこうなっただけなのだと思います。当時の日本人の考え方が色濃く出た貴重な一作。
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