[コメント] さくや妖怪伝(2000/日)
松坂慶子、化け物メイクより素顔のままの巨大化が怖し。で、その倒し方ですが…
(というのは前説で、心を失った妖怪映画に物申す)
高いトコロに登って頭上からグッサリ。これは和田慎二『ピグマリオ』の王道方式で、太郎くんの勝ち。さくやちゃんの地を割ってマグマの海に追い落とす方式は、怪力無双のむくつけきヒーローや複数ヒーローでこそ映える方法で、非力な少女では見栄えがいたしません。
さて、妖怪の凶悪であるか否かをはかるのに外見で見るのはどうかと考える。最後まで踊ってる妖怪アイドルズは、「かわいい」造形(というより、昔の大映妖怪路線よりチャチになっているだけにしか見えないのだが)ゆえに許されているように見える。この世界観では世の乱れとともに出現した邪まなる者ではなかったのか?その理屈とカラカサやぬっぺらぼうを同居させるには無理があったし、人とともに共存する辛さを体現する太郎だけが「妖怪←→人間」間を行ったり来たりするのみにとどめるべきじゃないだろうか。と、これはこの映画の世界観に拠る話。本当に望んでいることではない。
そもそも妖怪とは悪魔ではない。人間にとっての絶対悪として存在しているわけではないのだ。「お化け」と言い換えてみれば判るように、人間の無礼に報復したり、悪戯を仕掛けてきたりというものだということは、大映の妖怪シリーズを見れば判る。この物語のさくやが石仏に花を手向けたりする場面はあるのに、妖怪の死に鎮魂の気持ちを持たないということは、アニミズム日本の映画としては大いに腹立たしいところなのである。
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