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[コメント] 陸軍(1944/日)

「君死にたまふことなかれ」
寒山拾得

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「自分の息子ばかり心配して」と軍人上原謙に叱責される軍属東野英治郎のアップに、ラストの田中絹代のアップが重なる。この軒先での眩暈とともに訪れる天啓の件は、ごくまれに降臨する映画の神様の力が感じられ、圧倒される。ドライヤーの『奇跡』やブレッソンの『ジャンヌ・ダルク裁判』にも降りてきたのと同じ神様に違いない。「天使様の子供」に手を合わせる慣例はない。田中絹代はこのとき、明らかに別の人格に乗り移られている。だから主人公である国粋主義者の夫笠智衆は、このラストには登場しない。

(追加)この軒先の件、田中絹代が呟く軍人勅諭には、微妙な仕掛けが施されていると思う。続く息子の追走は、勅諭の精神でもって行われるのだ、という解釈を表向きには求めている。しかし裏声では、別の人格となった彼女はこのとき、勅諭の意味が判らなくなっており、元の自分を取り戻そうと復誦してみるものの虚しい、という解釈を求めている。このような複雑な話法は、戦中だからこそ試みられる必然性があった。複雑な世情を抱えている第三世界の映画人に届いてほしいと思う。

木下は理念の人ではなく情の人だ。彼が裏声で歌った反戦は、博愛主義やリベラリズムではなく、ただ近しい者たちの悲運を嘆く、明治の「君死にたまふことなかれ」の系譜にある。ラス前の親子四人の肩たたきも情感に溢れているし、前半の三国干渉に係る悲憤慷慨ですら情を扱い一貫している。戦後の『二十四の瞳』と温度差はない。戦前の理念に迎合してしまった多くの演出家と比べると、不易流行の何たるかについて、いろんなことを考えてしまう。

笠と東野の神風論争は面白い。「神風が吹かなけりゃ負けていたんじゃないのか」と述べる東野に反論する笠の理屈は、典型的な精神論でグロテスクだ。これは脚本家の才というより、こういう会話は戦中でもよく冗談に囁かれたのだろうと思わせられる。昔も今も、庶民はバカではない。これを掬いあげる木下は、ユーモアの力を知っている人だと思う。

(評価:★5)

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