[コメント] 赤い砂漠(1964/仏=伊)
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この映画の中で最もテーマを象徴するものは、炎や噴煙、さらには霧やヘドロや水といった、もともと「輪郭」を持たないものたちへの、執拗なまでの描写にあるのかもしれない。(ジュリアナを除いて)個人的にこの映画で最も存在感あるものとしてうつったのは、ラストの黄色い煙。毒とともに、輪郭のない世界へ足を踏み入れることへの「警告」も含んでいるようにも思えた。
ベッドが一瞬にして砂となり崩れ落ちるイメージや、好きなものを全て手元に置いておかないと不安で堪らないといった、足場や拠り所が意味を失うことへの恐れを示すようなセリフの数々が印象に残る。ともあれいろいろ考えてみるとアントニオーニ監督は人間の「外面」と「内面」を、「輪郭」と「色彩」のイメージで視覚化してみせたようにも思える。
ジュリアナと登場人物たちのセリフ(表面的な他愛のないやり取りではなく、特に内面の吐露を示すような対話)は、ことごとく食い違い、すれ違いを見せる。そのことは、ラスト近くの彼女と外国の船員との全く成立してない不毛な対話という、極端ともいえる描写でさらに強調している。不毛な対話しかなされない彼女の前では、他の人間(息子ですら)はただ「漂う」だけの亡霊のような存在でしかないのかもしれない。この世界において彼女は、常に孤独な異国の人間であり続ける。
幻想シーンも印象的。確かに鮮やかな色彩と歌に満ちた美しい島だが、広い海に孤独に漂う島でもある。船は決して浜に辿り着くことはない。ただ思わせ振りにコチラに姿を見せるだけで、追いかけても決して距離を縮めることはない。慰めは外にはなく、自らの中にしかないのである。とても象徴的。
最後に。工場がまき散らす神経を逆撫でするような騒音、汽笛のかすれた音、玩具の単調な機械音、隙間を抜ける風が鳴らすようなフスコの美しくもか細い音楽、など。全体を通して「音」に対する配慮もかなり伺える。
(2002/8/19 再見)
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