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[コメント] 今年の恋(1962/日)

撮影者として、お馴染みの楠田浩之と共に成島東一郎が一緒にクレジットされている。これは、どういう経緯だろうか、どういう分担だろうか。
ゑぎ

 本作は『秋津温泉』と同年の映画なのだから、成島は楠田の元を離れて、もう立派に独り立ちしている時期なのだ。楠田の体調に問題があった、というような理由だろうか。Webで調べた限りでは、情報を得ることはできなかった。分担についても、なおさら真実はつかめていないのだが、屋内の緩やかなドリー前進移動は、成島のカメラじゃないか、と思ったりする。

 高台の空き地。高校生の田村正和石川竜二が上級生に殴られる。続いて、坂道の途中で2人が会話する。これを冒頭と中盤で繰り返すが、イマイチ面白みのない見せ方(空間のとらえ方)だと思う。本作は、この高台や、熱海へのドライブ、ラストの京都、といった屋外場面もあるけれど、基本は、三つの家屋での室内劇によって進展する映画と云っていいだろう。三つとは、田村の家、石川の家、石川の両親がやっている銀座の料理屋を指す。

 田村の兄は吉田輝雄、石川の姉が岡田茉莉子で、実はこの二人が主人公だ。田村と吉田の兄弟が住む家と、岡田の家、どちらも廊下から玄関口を撮った定点的なアングルが反復される。また、吉田の家のダイニングキッチンのカットで、電話がよく機能する。電話の描写は岡田の家でも頻出するので、本作は「電話の映画」、ということもできるだろう。吉田の家では、まずは、婆やが電話に出ることが多い。この婆やは、東山千栄子が貫禄たっぷりに演じている。対して、岡田の家のお手伝いさんは、若水ヤエ子で、彼女の、薬局の店員との恋が、尺を取って語られる。通常の作劇なら、終盤の若水の失恋のクダリはカットだろう。タイトルを導く重要なシーンの位置づけだが、私には違和感がある。ちなみに、本作の若水、トレードマークのズーズー弁は、控えめに演出されている。

 さて、本作の、誰が見ても(多分)一番のストロングポイントは、岡田と吉田の科白の掛け合いで、特に、岡田の、歯に衣着せぬ科白と口跡は特筆すべきだ。あるいは、科白とは裏腹な、本心が表出する所作表情の挿入(思わず微笑したり、小走りになったり等が可愛い!)も上手いと思うが、ちょっとこれ見よがし、あるいは、あざとく感じる部分がある。あと、岡田とその両親、三遊亭円遊浪花千栄子がやっている料理屋「愛川」での場面はどれも面白く、吉田とその父親・野々村潔のアクシデントと、岡田を絡めた描き方も、いい調子だ。さらに、岡田と両親とのやりとりにも大いにくすぐられる。一つ違和感を覚えたのは、岡田が、父親の円遊に「アホ!」と真顔で云う科白(と表情)で、これは私が関西出身だからだろうか(関東人にとって「アホ」はこのシチュエーションで父親に云う言葉なのか疑問、ということです)。

 上にも書いた、熱海へのドライブのシーンでは、とびっきり美しい富士山を見ることができる。開かれた、見晴らしの良い戸外のシーンが上手いのは木下の特徴だ。実は、熱海での屋外シーンも期待していたのだが、途中で東京へ引き返してしまい、熱海のシーンがないのには、ガッカリした。

#備忘でその他配役等を記述します。

 吉田輝雄が、最初に料理屋「愛川」に連れて行くガールフレンドは峯京子。高校の担任の先生役は三木のり平。料理屋の客、菅原通済の紹介の会社専務として野々村潔が登場する。野々村の2回目の来店で、京都の料亭?の娘、高森和子を連れて来る。高森はクレジットでは、(NHK)と付記されている。ラストの京都は、八坂神社の「をけら詣り」から知恩院の除夜の鐘。

(評価:★3)

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