[コメント] 第三の男(1949/英)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
ハリー=オーソン・ウェルズが出演しているシーンだけは奇跡が起こり、短い登場時間で全篇を持っていってしまうが、逆に言えば、それ以外の、映画の大半を占めるシーンは、どうでもいい主人公ホリー(ジョゼフ・コットン)が右往左往しているだけでまるで印象に残らないということでもある。そこが致命的で、ハリーの悪に幾分かは拮抗しうる善としての存在感があれば随分違っただろう。残念。
「ハリーにしか懐かない」という子猫が、窓の下のハリーの足許にじゃれついて、その靴を舐めるカットや、アンナ(アリダ・ヴァリ)の部屋から出たホリーがその人影に気づきながらも監視者だと勘違いして「姿を見せろ」と叫び、見知らぬ婦人が夜の騒音に抗議しようと開けた窓の灯りにハリーの顔が浮かび上がるカットなど、子猫、ハリー、ホリー、婦人、といったキャラクターがそれぞれバラバラな意図で起こす行動が一つのシーンとしてパズルのピースのように嵌っていく構成が巧い。サスペンスの謎解き自体は一度観てしまうと結構単純なものと感じるのだが、トリック以上にシーンの構成の仕方に巧緻さが見てとれる。
全篇に施されたチターの、時にふざけているのかと思えるほど長閑で軽妙な響きや、ハリーの、悪知恵の働く悪戯小僧をそのまま大きくし凶暴化したようなキャラクタリゼーションが、暴力性とコミカルさの絶妙な混合を実現している。観覧車での「鳩時計」云々の名台詞もさることながら(「cuckoo clock!」と言い放つや否や「またな」と去る、おどけた調子のリズム感)、箱の扉を開いて下を見下ろし「あの中の一つの点が動かなくなるだけだ。一つにつき二万ポンド支払うと言われたなら断るわけがない」という、自らが奪う命と完全に隔絶した距離感、更には「子猫に慕われる」というささやかな一点が、ハリーのどこか童心を感じさせる妙な魅力を構成している。
それ故、ラストカットの並木道でアンナがホリーを無視して去るのも当然と思える。ホリーは、知性も教養も無いが妙に自信にだけは溢れていて、単純な思い込みからやけに警察に突っかかるという、何の魅力も無いキャラクター。昔の映画の主人公にはこうした人物が頻繁に登場するのだが、結局はこのあまりに素朴に過ぎる「善」がハリーを誘う餌となり、最後はハリーの頷きに促されて彼にとどめを刺し、決着をつけてしまう。多少ともこの「善」が魅力的に描かれていれば、友情と倫理感との葛藤や、最後の並木道での賭けにも緊張感が生じた筈なのだが。
ホリーが男爵(エルンスト・ドイッチュ)と共に、ハリーが事故に遭って死んだという現場を観察するシーンや、ホリーが何者かに車に乗せられて強制的に連れて行かれるシーン(実は講演会場に運ばれただけなのだが)、アパートの管理人の死に群がる野次馬たちに犯人視されるシーンなど、全篇に渡って「視線」に囲まれるシーンが反復される。それは「目撃」証言に含まれる矛盾が契機となって動き始めるプロットとも合致したものだ。地下水路でハリーを追う夥しい数の警官たちの眼差しや、ハリーが追い詰められ、警官たちの声の反響するトンネルを捉えたカットが畳みかけられるシーンなど、最後まで視線の劇としての演出は保たれている。そして、ホリーとハリーが無言で視線を交し合った直後に決着がつけられる。ラストシーンは、ホリーとアンナが視線が遂に交わり得ないまま終わる。
ホリーがキャロウェイ(トレヴァー・ハワード)に連れられて病院を訪ねるシーンでは、ハリーの被害者である子供たちは直接は写されず、子供たちを見つめるホリーの眼差しや、子供たちを世話する看護婦たちの視線によってシーンが構成される。そして、うつ伏せに椅子の上にヌイグルミが置かれるカットで、犠牲者としての子供の悲劇を暗示する。こうした抑制が本作を品位あるものに保っているのだとも言えるだろう。管理人の部屋をアンナと訪ねるシーンでの、子供が部屋に放り込むボールや、地下水路で最後にハリーが格子越しに地上に指を伸ばすカットなど、ショットに対する勘のよさが観ていて心地よい。
警官に腹を立ててドイツ語で何やらまくし立て続ける老婦人(タバコをやると一旦おとなしくなるのがまた笑える)など、事態の周辺にいて本筋と関わらない人物が活き活きしているのがいい。男たちの思惑と関係の無いところで動く少年や子犬や子猫、ハリーの自分に対する裏切りさえも関係無しに彼を愛するアンナなど、ホリーら男たちの闘いとどこか切り離されたところにある存在が事態を転がす辺りにも、脚本の妙を感じる。ホリーの名を「ハリー」と呼び間違え続けるアンナは、結局ホリーの存在が終始眼中に無かったのであり、一方でホリーは、「キャラハン」と呼び間違い続けていたキャロウェイの駒として働くことでアンナもハリーも失うことになるのだ。
それにしても、「ハリー・キャラハン」の名はもしかしてこの映画に因んで名づけられたんだろうか?
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