[コメント] さらば、わが愛 覇王別姫(1993/香港)
運命には決して逆らえないのか?「さらば、わが愛」とは、彼の最後に残した言葉だ。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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「人には運命がある。運命に逆らうな。」
あるいは、「僕らは自らこの運命にはまりこんだんだ。」
彼は受け入れた。 そして、利用した。 小樓を守るために、京劇を守るために、自らを汚してきた。 この世界以外に生きる場所なんて、蝶衣には存在しない。 そして運命はやはり、必然なのだ。 小樓を愛し抜き、京劇を愛し抜いたその心こそが、彼の舞いを美しく仕上げた。 兄への恋に、運命(しきたり)による自らの役目に、耐え忍ぶ姿。この京劇の美しさの真髄。現実と芝居の混同ではない。それはすでに蝶衣にとっての生きるという意味そのものであったはずだ。
彼は言っている。 「ここまで汚された京劇は滅びるしかない」と。 そこまで心をかけた小樓を菊仙に汚され(と、少なくとも蝶衣は感じただろう)、 京劇を時代に汚された。 しかし何よりも彼自身がもっとも汚れてしまったのだと、文革による兄の中傷により気づいてしまう。(※というわたしの解釈)
自らも、滅びるしかなかったのだ。
悲劇とは、なんて美しく響くのだろう。虞姫は愛に生きたからこそ自らその死を選んだのだ。生涯王を愛し抜いたからこそ、美しかった。
追記: 菊仙もまた気の毒な女性であるように、わたしには移った。彼らの舞いの美しさを解せずに、頭でしか感じることの出来ない物悲しさが、蝶衣との見事な対比として描かれている。
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