[コメント] 式日(2000/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
宇部市は監督の郷里と聞く。思えば監督の手懸けたアニメ作品はいつも巨大な鋼鉄の構造物を不可欠なモチーフとしており、登場人物達の身体や精神はいつもその鋼鉄の構造物の狭間に身を置き、自己を確信できない不安や焦燥に苛まれていた。
この映画に写し取られた宇部市に散在するモノのカタチ。それらは監督の脳裏に刻印された抜き差しならない記憶の影なのだろう。確固とした輪郭で存在を顕示するそれら鋼鉄の構造物のカタチが、そこに住むひとの脳裏に最も鋭利に刻み込まれることになったというのはごく自然なことだ。モノに見入られてしまった者が逆に見出していくモノのカタチは存在の強度が違う。この映画に映し出されていく宇部市に散在するモノのカタチは、そんな存在の強度で見る者の目を引きつける。
しかし、ではそれが一旦映画となった場合、今度はそれらが組み合わされることでどれだけ真っ当に物語足り得ているか、それが問われることになる。つまり、集積されたモノの記憶から適切に語るべきことを語り得ているか、否か。その点でこの映画は魅力に乏しいものになってしまっていると思える。何故か。
おそらくそれは、やはり写し取られ、映し出されたモノの記憶の貧困さ故なのではあるまいか。現実に存在するモノは、けれどモノそれ自体としてのみ存在しているわけでは当然ない。それはすでにして見る者が思いもよらない他者の記憶をその内に胚胎しながら存在しているはずだ。この映画の中では、物言わぬ路傍の鉄屑はそれを見出す映画の眼差しの的確さ故に確固たる輪郭で己の存在を見せつける。それは監督自身の生きた記憶の濃密さゆえの勝利だろう。だがたとえば「彼女」はどうなのか。何故「彼女」は己の固有の名を名乗らないのか。「彼女」はじつは「彼女」などではなく、固有の名を名乗る具体的な存在であるはずなのに。
この映画は「彼女」と「カントク」の閉じた鏡像関係を物語の枠組みとしているけれども、そこから具体的な物語を映画としてつくりあげていくには、そこに集積されたモノはあまりに貧困だ。たとえば「彼女」が住まう廃屋、誰が金を出すことでそこが「彼女」の逃避的な居場所足り得ているのかは判らないが、そんなことは問わないとしても、そこにオブジェとして集積されたモノはあまりに類型的な「トラウマ」を表象するものでしかない。それ故か映画の終盤で為される母子の対話も、その背景にある記憶が如何なるものなのか、それが具体的なモノとして何も見えてこない。そして何よりもその場に立ち会う「カントク」の存在の覚束なさ。彼は目の前のふたりの関係から全く疎外されて、その場に座っているだけのように見えてしまう。「現実」を口にしながら、生身の現実から最も疎外されているのは「カントク」自身なのではないかとさえ見えてしまう。
つまるところ、この映画での「彼女」は「カントク」の眼差しのもと類型的な観念の木偶としてのみ存在するだけで、独立独歩で己の名を名乗るモノ(他者)として「カントク」を裏切ることがない。逆に言うならば「カントク」は独立独歩で己の名を名乗るモノ(他者)としての「彼女」ならぬ彼女自身を見出そうということは一切しない。「カントク」は「彼女」を自己のネガティブな鏡像としてのみ眺めやることしか出来ていないのに、その欺瞞と傲慢には決して向き合うことをしない。物語は「彼女」が自己閉塞的な無時間から這い出て現実の時間を生き始めることによって終わるが、それに見合う解放の気分がこの映画にない(少なくとも私にはない)のは、「カントク」が「彼女」を自己のネガティブな鏡像として取り扱っている欺瞞と傲慢に向き合うことをしなかったからではないのか。
アニメ製作という物言わぬモノを描き出しながら物語を虚構していく現場にいた監督にとっては、生身の藤谷文子を映画で“モノに出来た”ということは、自己閉塞したセカイからの一歩前進ではあったのかもしれない。(ヒニクではない。)だが、この映画の中に存在する「彼女」には、そんな具体的な関係を生きている者の煌きが足りないように思える。その物足りなさは、「カントク」が「カントク」であり、「彼女」が「彼女」でしかない、まさにそのことに依っているのではないだろうか。この映画が本当に閉塞からの開放を望んでいるのなら、そこ映し出されるべきなのは、「カントク」と「彼女」のそれ自体が自己閉塞した自作自演劇ではなく、生身の庵野秀明監督自身の偽りのない世界への眼差しではないのだろうか。
象徴としての「青い空」なんてモノは、尚更息が苦しくなるシロモノでしかない。(少なくとも私にとっては。)
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