[コメント] 恋のエチュード(1971/仏)
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クロードのモットーは「今を生きる」ってとこだね。いわゆる「高等遊民」で、できるだけ嫌なことはしたくないといった困った奴。価値観は当然「快ー苦」でいわばエピキュリアンといった趣。
ミュリエルの場合、目を患っているせいもあるに違いない、自分の殻にかっちり閉じこもり、おそらく聖書でも読んでいるんだろうね、常に先のことを考えて、その最善に尽くそうとする人。
この二人には何にも共通点なんてないですよ。クロードがなぜミュリエルに興味を持ったかはよくわからない。美人だったからかもしれないし、ちょっと遊んでやりたかったのかも。
で、この二人をつなげるのが姉のアンなのです。彼女はミュリエルと彼女たちの厳しそうな母親と一緒にいたから二人の価値基準を知っている。かといって、自分に閉じこもるでもなく、一人でパリに行く行動力も持っている。
はじめはアンの親切心だったんだろうね。妹に少しでも外の世界を知るきっかけになればってさ。それが(おそらくアンの思っている以上に)うまく運びすぎて婚約となっちゃう。で、ここからがおもしろい。『シェルブールの雨傘』とか『白夜』とかの男女の価値基準の話。「うまくいくはずない」んだよ。それで二人ならすぐ終わっちゃうんだけど、そこにアンが入ってちょっと複雑になる。
当然のように婚約破棄、ミュリエルはここから少しずつ変わる。でも、彼女はクロードを通して外を少し知ったあとで自分の基準をますます強くし、それでもって外へ向かっていく。変わらないようでいて、変わってしまう。知ってしまったからには外へどうしても向かう。彼女はまじめなのね。
クロードは、こいつ全然かわんない。
アンは、なんと、クロードに感化されてしまった。彼女も自分の快楽にのみが大事な困った人たちの仲間入りだ。彼女は妹にクロードとのことを暴露してしまうくらいに自己中になりさえする。でも彼女は最後に「他者への思いやり」を持って死んでいく。「他者への思いやり」ってのは大人になったことなんでしょうか。
妹は、最後にクロードと合うとき、クロードに少し歩み寄る。これはほんとに彼女にとって大事件だ。おおごとだ。それに気付いていないであろうクロードは「今こそわかった。結婚してくれ」ミュリエルはこれで本当に終わりだと思ったんだろうな。もう自分を忘れてもらい、自分でも忘れるために、一回だけ。この気持ちをわかってもらえないんだもん。彼女は、二人の価値観は違うのだから、二人は絶対に一緒になれない、このことにとっくに気付いていた。自分を客観視する(他者の気持ちになって考える)ことのできないクロードには、絶対にこれは理解できない。ここのとこの会話は聞いてるだけで痛い。やさしく子供を諭す大人、だ。
クロードは結局何一つ変わらないまま、この話は終わる。いつの間にか自分一人になってから気付いたって遅いのだ。ミュリエルは家庭を持って、世間一般の「大人」の生活に入っても、彼は一人で昔を懐かしむだけ。ずっと「子供」のまま。「男は愛には素人だ」ってことでしょうか?でもね〜、それはあんただけよ。きちんと思いやりを持った「大人の男」だっているんだよ、たぶん。
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