[コメント] 夕陽のガンマン(1965/伊=スペイン)
映画を見終った人むけのレビューです。
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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
一見すると知略戦が行なわれているように見えるが、相手の裏を読む、という単調なパターンの繰り返しで、そこに具体的な策略としての面白いアイデアがあるわけでもなければ、推論に推論を重ねて構築された論理の絶妙なバランスを支える緊張感が生じているわけでもない。特に銀行襲撃シーンなど、観客が場面をひと目で理解し難い、ややこしいシーン構成にしてしまっているに過ぎない。
単なる粗野な悪党と思えたインディオ(ジャン・マリア・ヴォロンテ)や、賞金のことしか頭に無い冷血漢と思えたモーティマー(リー・ヴァン・クリーフ)の、意外な繊細さを明らかにする懐中時計。一攫千金を狙っての攻防に終始するかに思えた物語が最後にはこの二人の、一人の女をめぐる因縁の対決となる。懐中時計のオルゴールの単調な旋律が、神経戦としての決闘の緊張感を際立たせ、オルゴールの音に被さる劇伴の激しさと、オルゴールの、今にも途切れそうな繊弱な響きとのコントラストが、力強さと繊細さとの絶妙なバランスをもたらす。
が、この二人の回想シーンに登場する女に、一瞬でもその存在感を示す場面が訪れたらよかったのだが、単に男の傷心を表す記号として現れて死ぬのみであり、結果、あのオルゴールの響きも、その音が途切れたのを合図に撃ちあいが為される、という即物的な緊張感にまでしか達しない。そこに何らかの情感を認めてやるほど親切な観客でありたくない。
ただ、最後の決闘の後、イーストウッドがのんびりした口調で「ブラボー」と声をかけるその台詞回しが、実に格好いい。獲物としての人間の死体を荷車に積み上げて賞金を数えて去っていく彼は、一攫千金をめぐる攻防という当初の構図そのままに悠々と去っていく。そうした乾いた即物的なキャラクター(小銭稼ぎに躍起になる少年への対応含め)に徹することが、イーストウッドの魅力を充分に開花させえていないのではないか、という印象は拭えないのだが。やはり彼には、一抹の優しさなり情味なりが加わっている方が似合う気がする。線路脇に頑固に暮らす占い師の爺さんとのやり取りが愉しいのも、その為だろう。
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