[コメント] 荒野の用心棒(1964/伊=独=スペイン)
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本作は映画史において特異な位置づけを持つ。一つは本作がマカロニ・ウエスタンの嚆矢となったこと。それを作り出したレオーネ監督、音楽のエンニオ=モリコーネを一躍有名な存在とし、何よりそれまで映画俳優としては鳴かず飛ばずだったイーストウッドを一躍トップスターに押し上た作品だった。後の映画史に多大な影響を与えた作品と言える。だが同時に本作は映画史における一つの汚点ともなった。パクリ映画としてである。今でこそ和解したとは言え、本作は完全な『用心棒』(1961)の、了解を取ってないコピーであり、実際、ちゃんと了解を取って翻案した『荒野の七人』(1960)以上に忠実に作られている。これだけのものを堂々と作ってしまうのだから、ある意味立派だ。尤も現代では、示談が成立しているので、パクリというのは悪い言い方で、ゲリラ的撮影と言った方がいいかもしれない。監督本人が悪びれることなく示談に応じたのは潔かった。これも確信犯的だったのか?
ちなみにその事を発見したのは東宝ローマ駐在員が劇場でたまたまこれを観てびっくりした事が発端だったようだ。しかもそんなこととは知らないイタリアの配給会社は日本での買い手を探して来日。試写の結果、間違いなく盗作であると判断し、東宝の抗議に至った。
本当に何から何まで『用心棒』そのまんまな作品であり、刀が銃に変わっただけで、主人公の位置づけから、設定、キャラクターに至るまで呆れるほどによく似てる。
元々黒澤明監督は『用心棒』をチャンバラ、あるいは任侠映画として撮るつもりが無く、大胆に西部劇のテイストを取り入れて作ったと言っていたが、確かにそれは大当たり。この作品が見事にそれを証明してみせた。黒澤監督も、怒るよりむしろ喜んでたんじゃ無かろうか?
しかし、それは本作がどれだけ質が高かったかと言うことでもある。本作こそがマカロニ・ウエスタンを方向付けた。
それで西部劇の違いというものを考えてみた。ハリウッド西部劇は本来アメリカの歴史に密接に結びついた映画で、大陸東部から新天地を求めて開拓のために進んでいった西部の辺境を舞台にしていてこそ、西部劇の名称がある。そこにはネイティヴ・アメリカンとの文明の衝突があり、鉄道によってどんどん開発されていく歴史の流れというものがあった。だからここにはアメリカという国の建国物語が内包されている。どの作品を観ても、ちゃんと年代が設定されており、実在の人物もちょくちょく登場させる。それに対しマカロニ・ウエスタンの場合、概ね年代の設定はされていない。されていたとしても歴史そのものよりも、人物の方にスポットを当てるため。更に極端に個人の格好良さを強調するのも特徴か。正義とか悪とかを超越した一人の男の物語を描く。それに特化した。予算不足を補うためだろうが、だからこそ強烈な個性を残すことが出来たのだろう。
尚、この作品でブレイクしたイーストウッドはマカロニ・ウエスタンのトップ・スターとなったが、しばらくはアメリカでの知名度はかなり低かったそうだ。世界が認め、それからアメリカへ帰っていったと言う面白い経歴を持つようになる。
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