[コメント] 雁の寺(1962/日)
映画を見終った人むけのレビューです。
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正直言うと、思っていたのとだいぶ違ってました。逆に言えば、川島雄三はこんな映画も撮れるんだと驚きましたけど。
こちらが勝手に想像していたのは、やっぱり若尾文子が男を手玉に取るような話だったんですよね。ザイルを切っちゃうとかさ。それに最初に鴈治郎が出てくるじゃないですか。もう、鴈治郎とあややでウヒウヒ映画だと思ったわけですよ。
ところがこの映画の中心は「小僧」なのです。なんなら、若尾文子を巡る男どもの話の体で始まるのに、途中から彼女は「語り部」の立ち位置に変わってしまう。そうした視点のブレみたいなものが、この話がどこに向かって進んでいるのか分からない印象を与えているように思います。
どうやらこの「小僧」は、原作者の水上勉が投影されているようです。水上勉は生まれが貧しく、お寺に小僧として出されたとか。まあ、私は彼の小説を読んだことはないし、映画も『飢餓海峡』しか観たことないんでなんとも言えませんが、なんかこう、貧乏がベースにある気がするんです。
この映画でも同様に思えます。小僧も若尾文子も貧しい出自なのです。そこに、金も権力も(色も欲も)持っている階層の象徴として「住職」が描かれる。黒澤明『天国と地獄』もそうですが、この時期の日本、つまり60年代半ばの日本は「貧富の差」を意識した作品が目立つような気がします。もしかすると、高度経済成長期の歪みのようなものが噴出し始めた時期なのかもしれませんね。
(2023.06.24 CSにて鑑賞)
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