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[コメント] 現金に体を張れ(1956/米)

なるほどね。
ペペロンチーノ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







画期的だったんだと思います。タランティーノがインスパイアされたのも納得できます。私も若い頃に観ていたら「オオッ!」と思ってたでしょう。でも、その後のキューブリックを観ちゃってると物足りない。面白いんだけど。ま、後から観た者の不幸ですな。

ただ、今にして思えば、キューブリック向きの題材ではなかったように思うのです。

キューブリックは話の面白さで観客の興味を引く監督ではありません。我々観客の心が動くのは、彼の紡ぐ物語ではなく、彼の映像表現だったように思うのです。『シャイニング』の恐怖表現が典型的な例で、理屈抜きで画面が怖いんですよ。音楽に例えるなら、「素敵なメロディ」ではなく、「究極の音」を求めていたのではないでしょうか。映画という媒体の“表現の限界”に挑戦し続けた監督だったとも言えるでしょう。

そう考えると、この映画の構成もまた(当時としては)“表現の限界”に挑んだものだったのでしょう。 しかしですな、この題材は「事態の行く末」という話に観客の興味が向いてしまうのです。 そして時間軸を崩した結果、“軸”がなくなってしまったように思うのです。

レザボア・ドッグス』は、ある程度の結果を先に見せて、「どうしてそうなったんだ!?」と観客の興味を引くんですね。その興味を“軸”に、“種明かし”を崩した時間軸で見せていく。 一方この映画は、事態の行く末が興味の対象なのに、遅々として話が進まない。ベラベラ奥さんに喋っちゃうダメ男なんか、見ててイライラする。同じ題材をコーエン兄弟が扱ったら「人間は可笑しくて悲しい」話になったろうが、キューブリックが人間に向ける視線は冷徹で、ダメ男も愛すべき対象ではない。

キューブリックのフィルモグラフィーを改めて眺めてみると、「一番恐ろしいのは人だ」というテーマに貫かれているような気がするのです。 この映画も、欲に取り付かれた人間の恐ろしさを描いているのでしょうが、そのスタイリッシュさが逆に描くべきテーマを遠ざけてしまったように思えるのです。

(15.02.03 CSにて鑑賞)

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)Orpheus けにろん[*]

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