[コメント] パール・ハーバー(2001/米)
戦争というごたごたとして正体不明なものの中から、きちんと1つの物語を見出してくる力量には敬服するけど、銃後の人間が撮る場合にどうあがいても混入してしまう安っぽい感傷を、それでもなるべく排除するのが戦争映画本来のあり方だろうに、感傷主義にとっぷり浸ることを旨とする映画を作ってしまっては、むしろ実際に戦って散っていった自国の兵士に対する侮辱でもある。戦う敵に対する無関心さは考慮しないにしても。
自分自身が戦場に赴いた経験はもちろんないけれど、優れた戦争映画を観れば、戦場に薄っぺらな感傷の入り込む余地が無いことくらいは知っているつもりだ。それは、映画作りにおいて安易な妥協が許されないのと同じことではないのか。いや、浅はかな想像力からでさえ、戦場でのそれはより厳しいものであろうと思えるのだが、映像表現において迫真を追求する執拗なまでのストイックさと、(それにもかかわらず)その描く物語世界に安易に入り込む感傷主義との両立を見せられると、安直に単なるプロパガンダ映画かと思わせられてしまうのである。だが、歴史考証(が足りないというよりも)などどうでもいいと言わんばかりの作品に、政治的意図が込められているはずもなく、自国の歴史事実をきちんと顧みることのないこの作品は、愛国の映画ですらあるはずがない。
人種の坩堝であり、自由と公正という不確かな価値観のみがアイデンティティの拠り所とならざるを得ない脆弱な国家・アメリカが、一方で経済的繁栄を謳歌しているように見えながら、今ほど目標を見失い自信の揺らいでいる時期もなかったのかもしれない(もちろん、2001/9/11以前の議論だが)。そんなアメリカの脆さをさらけ出した(ようにみえる)この作品に対して、ある意味いい勉強になったとは思えるものの、保有する“力”は世界最大の国家であるだけに、恐怖に似た感覚を覚えるのはもちろんのこと、敵として描かれる日本人としては、不愉快を禁じえなかった。
このサイトで皆さんのコメントを読んで初めて、この作品がアメリカ本国で受けなかったと知った。だとすれば、たぶん、日本人が思っているほどアメリカ人は「パールハーバー」に対して思い入れがない、のか、そうであっても自国民が攻撃を受け傷つくシーンは見たくない、かのどちらかかという気はするが、期待を込めて、彼らにもこの映画に潜む危うい感傷主義が拒否されたのだ、と考えておきたい。
70/100(02/02/03見)
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