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[コメント] ファイナルファンタジー(2001/日=米)

ダメな映画の条件を全てクリアした歴史的作品。安易にCGに走る映画人やムービーに逃げるゲーム製作者は、この作品を最高級の反面教師として活用しなければならない。他に価値はない。 俺の言いたい事→

具体的に言えば、スクウェアという会社はそもそも勘違いしている。

この映画の感想としては「実写でいいじゃん」「なぜガイア理論にこだわるの?」「FFのタイトル関係ないじゃん」「もっとファンタジーっぽいのがいい」「ラルク合ってないじゃん」

それに対して奴らの発想はこうだ。「映画を作りたい」 「ゲームにも還元したい」 「だからCGじゃなきゃダメだ」 「スクウェアだからタイトルはFFじゃなきゃダメだ」 「でも一本の映画として勝負したいからジャンルは変える」 「俺はガイア理論をやりたいんだ」 「でもヒットさせたい」 「ハリウッドで認められたい」 「よし、ハリウッドの脚本家を雇おう」 「わかりやすい恋愛要素も入れよう」 「お約束のハリウッド風(それも80年代)にしよう」 「日本人の為にラルクも使おう」 ・・・・奴らは全て「自分達が何を作りたいか」からスタートする。そして「消費者が何を求めているか」を後から付け加える。

恐らく奴らの勘違いは「ゲームのCGムービー」を高い販売力のある商品と考えた所から始まる。あれはリアルタイムで動かせるチャチイ映像のなかにたまにご褒美で奇麗なムービーがあるから許されるのであって、それ自体に商品力はない。どんどんゲームの中のムービーの比率を増やしていって、結果ゲームは売れた。しかしそれもFFというブランド力と、「性能の限界に挑む映像」を好むゲーム機という媒体の特異性との絶妙なバランスによってもたらされた幻である。ムービー重視のゲームは既に限界ぎりぎりの所まで来ていたのだ。「いっそムービーだけで作っちゃえばいい」というのは、あくまで悪い意味で使う言葉。それを本気にする経営者がこの世に存在することが驚きである。映画という一本の作品として勝負する事で、スクウェアはCGムービーが商品として成り立つ土壌を自ら取り払い、オリジナルストーリーにすることでFFファンの取り込みを拒否し、FFの名前を冠し、ラルクを起用する事で映画としての「大作感」を取り払い、純然たるCG映画に対する映画ファンの興味を半減させた。

ここまで自ら進んで破滅への道を爆走しながらスクウェアの社長はこう言った。「CG映画が何故ヒットしなかったのか、原因を考えなければならない」・・・・初めからヒットしない企画ではあったが、しいて言えば原因はこの男が社長をしていたからだろう。

・・・・・あーーー。わかった、もう何も言うな。そうだよ、元々俺はこの映画なんかどうでもいいんだ。これだけウダウダ言っといて、実はどうでも良かったんだ、俺。オーケイ、認めよう。結局の所、俺の言いたい事はこうだ。

「スクウェアさん、どうか昔のような面白いゲームを作ってください。お願いします!  頼むよ、スクウェア、帰ってきてくれー! スクウェアーーーー! 四角!!」

・・・実は映画の話とあんま関係なかったんです。ごめんよ。

(評価:★1)

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