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[コメント] しろばんば(1962/日)

鳴滝組の生き残り、滝沢英輔の傑作。本作を見た後に、例によって脚本家(木下惠介)の仕事ぶりをオモンパカりたい、という不純な動機で、井上靖の原作を読む。
ゑぎ

 冬の夕方、田んぼに白い虫が飛ぶ。これが「しろばんば」だ。鈴木瑞穂のナレーション。舞台は伊豆、天城峠に近い湯ヶ島。主人公の洪作は、土蔵の二階に暮らしている。梯子階段が装置として印象的に使われる。また彼は、北林谷栄演じる、おぬい婆さんと二人で暮らす。本作は北林がほとんど主役、もう彼女の独壇場だ。洪作にとって、おぬい婆さんは、血の繋がらない祖母で、曽祖父の妾だった人。上(かみ)の家と呼ばれる、洪作の母の実家には、血のつながったお祖母さんの高野由美とお祖父さん清水将夫とその子供達、そして曽祖母、細川ちか子がいる。本作の細川の老け役も凄い。90歳の役だ。細川にとって、北林は夫を奪った女、ということにもなる。洪作の両親(渡辺美佐子芦田伸介)は彼を北林に預けて、豊橋で暮らしてるのだ。

 本作の見どころは、まずは上でも書いた北林谷栄の造型だが、もう一つは、映画が始まって、やゝあってから登場する芦川いづみの圧倒的な美しさと聡明な演技だ。芦川は洪作の母の妹(配役で云うと高野と清水の娘)で、女学校を出て、上(かみ)の家に戻って来、洪作が通う小学校の先生になる。

 滝沢英輔は『あじさいの歌』(1960)でも感じたが、芦川いづみの素晴らしさをフィルムに定着するということでは、抜きんでた監督だったと云えるのではなかろうか。子供達と露天風呂に入るシーン、赤ん坊を抱いた芦川が、神社の階段を上る仰角カット、そして彼女と主人公・洪作が、障子を隔てて「箱根八里」の歌を唄う場面なんて、全く傑出した演出だ。

 さて、本作を見終わったあとに原作を読みたいと思ったのは、何よりも、北林谷栄の造型が誰のものなのかを知りたい、ということが大きかったのだ。これに関しては、ほゞ原作通り、その類稀な、悪態と皮肉の数々は全部原作のまゝであることが確認できた。北林に関する限り、木下の仕事はほとんど無い、いや皆無といって良いのではないだろうか。

 本作・映画版は原作(文庫本で500ページちょっと)の約半分、前篇の部分を扱っているのだが、原作から割愛された部分としては、まずは、洪作が、豊橋で迷子になったクダリ。それから、馬飛ばし(草競馬)の後の、神隠しの場面が、まるまる割愛。そして、おぬい婆さんと行く沼津の場面、原作・前篇の中でも、最も鮮烈な印象を残す、親戚の二人の少女との交流も削られている。確かに沼津のシーンを入れていたら、キャストも増え、製作費も跳ね上がったと思われる。

 また、上にも書いた、「箱根八里」の歌の扱いは、木下の創意だろう。芦川の部屋の前で洪作と二人で唄うのは映画で追加された部分で、この相違は決定的だ。

 あと、これは滝沢の、撮影現場での演出だと思うのだが(木下の脚本段階で指定されていたなら、ちょっと気持ち悪いが)、洪作を含めた少年達が、川でも、露天風呂でも、全裸になって全く臆さないのも、原作にない映画ならではの演出だ。ラストの天城峠の隧道(トンネル)に向かう場面で、子供達が全裸になるのは原作通りなので、ラストを睨んだ上での一貫性のある演出意図なのだと想像する。もっとも、ペドフィリア的なものを感じないでもないが、それは、あまりに汚れた私の感覚の所為だろう。

(評価:★4)

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