[コメント] ムーラン・ルージュ(2001/豪=米)
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ニコールキッドマンの体を張った魅惑のフェロモンが序盤はプンプン臭ってきて、それなりの効果を引き出しているのだが、時間が進むにつれて慣れてくる。その慣れてきた時点、つまりマクレガーとの絡みが多くなっていくにつれ、体を張るだけで演技に表現力が薄かったニコールキッドマンが単なるそこらに転がっているダンサーの一人としか見られなくなった。
だからか、その後いくら悩殺ポーズをハメ技的にクドく繰り出しても「あっそ。」としか大声で言えなかった。内容が、それを助けてあげれば良かったのだが、肝心の内容が欧米版夜もヒッパレ懐メロ大全集の似非ミュージカルでは無理。その逆、役者が内容を助けるというのも無理。良質なミュージカル映画を知っている人間の肥えた心を相手に、この程度の勢いオンリー映画で立ち向かおうとしたのも無理である。まったく五月蠅いだけの厚かましい映画筆頭だ。
…と、言いながら、私、最後付近で悲恋に思わず目頭が熱くなってしまった。近松門左衛門に泣く日本人気質が目頭を熱くさせ涙を絞り出させたのだと思うが、冷めた現段階においては、その『涙』は「やっと終わる」又は「これでニコールキッドマンのトムクルーズに見せつける為のマクレガーとのアツアツ演技を見ないで済むんだ!」又は「ニコールキッドマンの気合い、歌唱力に自信がないからくる緊張で顔が引きつった小心者マクレガーの演技を見ないで済むんだ!復讐に利用されたマクレガーの可哀相な姿よさらば!」が脳内で『涙』と化学反応を起こしたのだと結論をだした。
『真実』『美』『自由』そして『愛』の物語らしいが、私の目にはストーリが強引で何かと歌に逃げようとする志が安すぎるので『哀』の物語だと感じる。
2002/9/25
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