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[コメント] 光の雨(2001/日)

式にするとy=x(a+b+c)/z
てれぐのしす

y=戦後民主主義 x=共産党 a=マスコミ b=教育 c=法曹 z=GHQ

連合赤軍を始めとする全共闘世代のしたことは、知性と情緒のバランスを欠いた「無邪気な犯罪」そのものである。たとえるなら、「銃で撃つと相手が死ぬということ」「相手を殺すことはいけないこと」を、明確なモラルとして身に着けていない子供が、学校に銃を持って行くようなものである。気に入らない相手がいたら銃を乱射するのは当たり前である。

もちろんたとえ子供であっても、それは一生をかけて厳しく断罪されるべき罪である。しかし、ここでもっと断罪されるべき対象がいる。

教育せず銃を持たせた親である。

もちろん、親自身に教育がない場合もあるだろうが、自分が学校に対して恨み(逆恨み含む)を持ち、意図的に反社会的思想でもって子供に銃を持たせたのなら、その確信犯ぶりは、万死に値する。

サリンをまいた実行犯は死刑が当然である。弁護士を殺害した実行犯もまたしかり。そして、彼らをそそのかした教祖はさらに断罪されるべき存在である。たとえどう言い逃れしようともである。

そそのかした子供たちが裁かれるのと同じように、そそのかした指導者も断罪されてこそ、民主主義というものである。

ところが彼らの指導者たちは、実は存命どころか健在そのものであり、彼らを「明日の日本を楽園に変える革命戦士」とおだてて、実際には「反政府ゲリラ」にして、犯罪者にした責任には頬かむりして、無関係を装い、引越して安全を確保して、いまだに同じことをし続けている。田原総一郎はまだマシな方である。もっと悪質な指導者が、未だに、あろうことか自分のメディアすら持って、平和のレトリックに隠して「明日の革命戦士はきみだ」と言うイデオロギーを撒き散らしている。

当時の学生運動家のトレンドは「右手に少年マガジン、左手に朝日ジャーナル」だった。朝日ジャーナルはなくなったが、それのボスはちゃっかり生きている。

そう、筑紫哲也である。

あの時代を振り返ってわからないのなら、総括したいのなら、筑紫哲也に訊けばよい。そして答えられないときに初めて「俺たちの青春を返せ!」と山奥に埋めるなり好きにすればいいのだ。ナルシスティックに振り返られて肯定されても迷惑千万。ましてや「時代」なんて言葉を軽々しく自分達の幼稚さの傀儡にするべきではない。たとえどれほど幼稚であったとしても、そそのかされて銃を持たされたに過ぎなくとも、人の命を奪ったことに変わりないのだから。

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