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[コメント] 贅沢な骨(2001/日)

戦略的な期待値の下げ方と、天然の期待の無さ、絶望。それは表面的な期待の無さでは同じだが、深いところでは違う。
蒼井ゆう21

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「セックスで不感症だから・イケないから」売春婦でも余裕。 これはつまりセックスで感じることができ、イクことができたら 売春婦はしない、という意味、つまりセックスに対する意味付け 愛=性みたいな、望み、期待を持っているということであり、 それを求めてるからこそ逆に不特定多数とセックスをするという矛盾があり、 過剰な期待があるからこそ、逆に期待値を戦略的に下げて不特定多数と交わる ことのショックを和らげるということ。 つぐみの場合は、親類から傷つけられた、という心の傷から、 他者に対しての期待値が低く、絶望している。 両者とも他者に対する期待のなさ、絶望、 という点では似ているものの、その期待の背景と絶望の質は それぞれ違っているように思える。 それは戦略的な期待値の下げ方と、天然の期待値のなさ、絶望の違い。 両方とも他者に対する期待値の低さでは一緒なものの、 その一層深いことろでは麻生久美子の絶望のほうがより 深いのだと思う。だからこそ、絶望のままでは終われずに、 期待を抱いてセックスしまくるのだと思う。 それはある意味、防衛本能?的なものにも近いようにも思われる。 戦略的に、あえて期待値を下げる、ということは 余裕があるようにも思えるが、 それは一層深いところでの余裕の無さの表れ、 ということのほうが近いと思う。

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