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[コメント] ロード・オブ・ザ・リング(2001/米=ニュージーランド)

名作の映画化が原作を超えられない事くらい百も承知のつもりだったが、百や二百の「承知」では足らなかったらしい。 追加:自分なりの構成を考えてみた。

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







*長いです。原作読んで期待し過ぎて失敗した人の代表例としてお読みください。一応下の方に褒め言葉もご用意しております。

「チープ」

一言でいえば「チープ」。二言いえば「騒がしい」。信じられないほどのチープな映像の詰め合わせ。近年、ここまでがっかりした映画も珍しい。あの『猿の惑星』と比べたくなりそうだ。『ハリー・ポッター』映画化の時の批判、「ありきたりの陳腐な映像」「なぞっただけ」「ダイジェスト」・・・、これらが全てがこの作品にも当てはまる。

何だあのガラドリエルは、光あてりゃいいってもんじゃない。あれしかアイデアがないんなら何で映画化したんだ? なんだあのアルウェンは、リブ・タイラーが写真撮影してるようにしか見えん。「美しいエルフの登場です!」って感じに普通の人間が普通に立っているのはなぜなのか。 なんだあの黒の乗り手は、人間が黒い布をまとって馬に乗ってるだけにしか見えん。監督は『スリーピー・ホロウ』を観たことがないのか?「旅の仲間」は黒の乗り手の存在感なしでは成り立たないんだよ。

一番最悪なアクションシーン。カメラ動けばいいってもんじゃない。アップにしてちょこまか動いてごまかしてるようにしか思えん。どうやったらあんなに単調に演出できるんだろう。テンポが同じなのよ。「お待たせしました、今からしばらくは見せ場です。彼らの活躍を安心してご覧ください」みたいな安心感が最低。 キンッ、ビシャッ、グウォー、ドサッ、フロド!、ヒュー、バスッ、ヒュー、バスッ、アラゴルン!、ガオー、ドカン、バシッ、・・・・・・・こんな感じ。チャンバラじゃねえか。黒澤映画でも観て出直せ。

そして長すぎる、アクションシーン。「旅の仲間」の見せ場は、「敵と戦うこと」じゃない、「敵に襲われること」なんだよ。その辺わかってねえんだよ、あのピーターなんちゃらとかいう奴はよ。まともに戦っても勝てそうにない謎の存在に命を狙われる、その恐怖が肝でしょうが。あれじゃ、狙われる逃げるっていうより、攻撃を受けて反撃しただけだ。「戦闘」じゃダメなんだよ、「襲撃」からの「逃走」じゃなきゃダメなんだよ。まず「旅」が基本にあって、そこへ「襲撃」が来るから緊迫するんでしょ。映画だと基本が「戦闘」で、その合間に旅をするって感じなんだよ。

「指輪物語を映画にした」というより「指輪物語をアクション映画にした」というべき。

アクションシーンが長いせいで、ストーリーに割く時間が短くなり、全てが説明不足。ゴラムとかあんな適当な説明で大丈夫なのか? 指輪所持者がサウロン→イシルドゥア→ゴラム→ビルボ→フロドってこと、未読者はちゃんとわかったんだろうか。とても心配だ。原作にあった「柳じじい」のエピソードのように、端折るなら端折るで、きれいに切り捨てりゃいいのに、ちょとづつたくさん入れるから、既読者だけにしか絶対に意味のわからない描写の嵐。とりあえず原作にあるから入れただけのお飾りが多すぎ。むしろ邪魔。俺は原作と全く同じであることは望んでないし、不可能だ。映画に入れるならきっちり説得力持たせなきゃ何の意味ない。映像になっただけ幸せな原作ファンや、他のしょうもないハリウッド大作と比べて満足できる未読の人はいいかもしれんが、俺のように既読で、尚且つ映画は映画で作品として評価するなら、工夫が足りないとしか言い様がない。個々のシーンも、全体のバランスも。

ストーリーの説得力が希薄なせいで、襲われた時の緊張感が沸いてこない。「アクション長い」→「ストーリー短い」→「感情移入不十分」→「アクションで盛り上がらない」 悪循環。アクション短くするだけで全然違ってくると思うのだが。

アクションに限らず全体を通してひたすら「騒がしい」のよ。「長い話を映像化」→「全体的に騒がしい」っていう予想通りの結果。そこをどこまで落ち着かせられるかが監督の腕の見せ所だったのに。予想通りすぎ。「名作に勝てないのはしょうがない」「人の想像力には勝てないからしょうがない」「長い話だから駆け足はしょうがない」「深い世界観だから伝わらないのはしょうがない」「大規模の娯楽映画だから粗があるのはしょうがない」・・・この映画を楽しんだ人は大抵「しょうがない」を納得した上だからではないか。指輪物語を映画化するに当たっての難題は五十年前から分かってたわけで、その「しょがない」をどう克服するかが重要だったはず。この映画化が成功だと言うなら、「駆け足にならない所が凄い」「俺の想像を助けてくれる!」とかそういう褒め方が出来るはず。しょうがない、しょうがないって、俺は「しょうがない」って思うために映画を観てるんじゃない!

深刻かつ壮大な話をチャチイ映像にまとめた中途半端な本作より、チャチイ話をチャチイ映像にした『ハリー・ポッター』の方がよっぽど好感持てる。

ようやく不満を言い終わったのでやっと良い所が言える。 最後のシーンはさすがになかなかの出来栄えで(というか単純にゆったりしていて説得力がある)、俺の大好きなシーンでもあったのでボロボロ泣いてしまった。原作で既に沸いていた感情を映像で再び刺激されて、「きっかけ」をもらった感じ。最後だけは面白い。しかしここも映画流に脚本をアレンジした部分が裏目に出て、フロドの悲壮な決心がカット。一番大事なとこだから手放しじゃ褒められん。他ではボロミアが剣の手ほどきをするシーン。的確な性格付け。あれが工夫というものだ。もう一つ挙げるならホビット庄、特にガンダルフがビルボの家のドアをノックする「音」が良かった。あの音は活字じゃ無理だ。

「キャスティング」。これは素晴らしい。見るべき点は俳優だけ。何と言ってもイアン・マッケランのガンダルフ! 完璧。まさに完璧。ほとんどこの人の演技だけでもってるような作品。監督頼りすぎ。この人がいなかったらと思うと、恐ろしくて想像もしたくない。指輪ファンは足を向けて寝れません。そしてビゴ・モーテンセン のアラゴルン。惚れました。原作でも相当惚れこんでたけど、映画でまた惚れ直しました。こんな事は滅多にあるもんじゃない。素晴らしい。クリストファー・リーのサルマン。これもハマリまくり。俺がこの映画で文句なしに楽しめていた時間は、最後以外では、ほとんどこの三人が普通にアップで映ってた時だけ。光らしたり、戦闘したり、何か始まると途端につまらなくなるからね。

上の三人だけでなくキャスティングに関してはほぼ完璧といっていい。レゴラスの凛々しさは健在で(弓撃ってるばかりでエルフの高慢な表現が少ないのは残念だが)、メリーはしゃべった瞬間に「あっ、こいつがメリーだ」ってわかった。ちょっと驚いた。エルロンドのような微妙な役も絶妙なキャスティングでこなし、ビルボに至っては「これだよ、ビルボはこうでなくちゃ」って心の中で納得していた。

結論。これだけ的確なキャスティングと素晴らしい演技が見られるのに、それらを全く生かせず、ただ頼るばかりで、チープで騒がしいチャンバラ映画におとしめた

*何か一つ忘れてると思ったら、肝心の主人公のキャスティングを褒めるの忘れてた! 何でだろう? まあフロドのキャスティングの良し悪しが判るのは第二部以降ではあるが、それにしてもあれだけたくさんの俳優について触れて、主人公について完全に忘れてたってのが自分でも驚きだ。小説でも主人公はあまり「どんな顔してるだろう」って想像したくなるキャラじゃないから、あまり気にしてなかったけど、逆に言うと主人公の映像を見て何も感じなかったというその事実こそ、このキャスティングの成功の証なのかもしれない、と今更気付いてみたりして。まあ、フロドに限らずホビット全員が小人というより子供にしか見えないのはちょっとアレだけどね。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)おーい粗茶[*]

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