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[コメント] バスを待ちながら(2000/独=仏=スペイン=キューバ=メキシコ)

もののないところでは、みんなで少しづつ持ち寄って分け合うしかない。そして幸せとは、そもそもみんなで持ち寄って分け合うものなのだ。[★4.5](02.04.09@OMS)
movableinferno

**ネタバレ注意**
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最後のシーン、あれはどういう意味だったのかなって、観終わってからずっと考えていました。

観ているまさにそのときは、「やっぱりジャクリーンが追っかけてきたんだ」なんてハリウッドのロマコメ風の(?)結末を期待したら、すぐにエンドロールであれれ…となって、「あの声はジャクリーンの声とは違ったかも」と少しガッカリしたりして。

それからずっと考えていました。あのラストシーンはどういうことなんだろう。いろんな解釈ができるけど、さっきたどりついたわたしなりの解釈は…

バスを待ちながらみんなで分け合った夢は、キューバの現状の縮図のようで、でもそんな中でも、たべものやよろこびや愛情を互いに分かち合うことで、バスの停留所はさながらユートピアのように、人が集うことでもたらされる最良のもの--それを指して人は幸せと呼ぶのかもしれません--が分かち合われる場所になりました。そう、待っていたはずのバスがやってきても立ち去りがたいほどに。

それは結局は「夢」だったけれど、その夢の始まりは「列の最後は誰?」という呼びかけでした。

幸せな夢は醒めて、みんなそれぞれの現実へ帰っていって、でもエミリオは、「列の最後は誰?」と呼びかけられて笑顔で「僕だよ!」と振り向きます。この「はじまりの言葉」から、夢ではなく今度は現実で、現実のキューバで、エミリオはあの夢の中と同じように、人々と幸せを持ち寄って分け合う、そんな人生を歩み始めるかもしれない…そんな希望を託したラストシーンだったのではないかな、とわたしは思います。

(評価:★4)

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