[コメント] ビューティフル・マインド(2001/米)
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監督は、精神病患者になってしまった人とその家族の関係を描きたかったという。 実在の人物の物語を参考に、「永く信じていた世界が崩壊していく物語」を作り上げた。その脚色(事実の改編?)にあざとさを感じる部分もあるが、物語として非常に良くまとまっており、見るものに多少なりとも衝撃を与える感動の作品となっている。<br> で、ドラマとして感動させる重要な要素でもあり、多少のあざとさをも感じてしまう−デヴィッド・フィンチャーやM・ナイト・シャマランの物語に使われる「トリック」のような使われ方をし、そのうちに回復のためにただのうるさい集団に成り下がる−幻覚。あれは実在のナッシュのものとは、ずいぶん異なっていると思われるが、「そう、あれこそ!」と思う患者は一人や二人ではないと断言する。ああいう危うい精神状態になっている人間が実際に多数いるのだ。<br> 一般の人は空想は空想として認識しているのが普通だが、その空想をホンモノと感じてしまいそうになる感覚を味わったことのある人もたくさんいるだろう。それを行き過ぎた先にいわゆる精神分裂症症状があるというのは一面真実である。性格や感性に通じるところのある近親者が、少なからぬ同じ時間を過ごした近親者が、そっちの世界に足を踏み入れた一人の人間として、そう感じる。<br> 虚構をそのまま信じている患者、虚構を病気と認めている部分も有りながら虚構をどこか信じて何かを疑っている患者、自分を病気と認めたくない患者、この作品のナッシュは、天才であることを除けばどこにでもいる患者である。 そして、時に普通の生活を送ることが出来、個性をもってものを考え、感じられる一般人であり、しかし患者である、その人間と過ごしつつ回復に努力するという闘いの苦労のアリシアはどこにでもいる。<br> 時に普通の生活を送りながら、時に虚構のために話の通じなくなる相手とつきあうのは、それ自体闘いである。普通の人としても暮らせるだけに「患者のすることだから」と100%無条件に許すことも無視することも出来ない、それは治療面でも相手をする人間の精神面でもそうである。しかも正常時と異常時の明確な区別は側にいてもわからないからなおさらである。それに耐えるためにはそれだけの「情」が必須である(この映画では、夫婦の愛がそれとなる)。<br> ロン・ハワードにとって、ナッシュはネタでしかなかったかもしれないし、ハリウッドテイストに仕上げられた物語として作り上げられているが、彼は間違いなく、精神病患者とその家族という物語を描ききっている。<br> この映画を通じて、患者の苦しみ、患者の家族の苦しみ、そしてそれがどこにでもあり、誰でもなりうるということが広く知られることを祈って。<br> <br> ※ナッシュに施される治療の一部は、時代のせいか演出のせいか国の違いかわからないが、現在の日本の一般の治療とは異なる。
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