[コメント] バーバー(2001/米)
これは「言葉」をめぐる映画だ。それはビリー・ボブ・ソーントンのキャラクタのユニックさと無縁ではない。エド・クレインという「寡黙な男」を饒舌なモノローグによって造型していくという方法論。
**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。
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寡黙であろうが何であろうが、そのキャラクタの内面を観客に提示するにあたってもっぱらモノローグに頼るというのは策としては下の下だ。平生ならば。しかし、このソーントンにおいては「饒舌なモノローグ」それ自体が彼のキャラクタの本質に深く根ざしたものであり、また説話の構造が要請するところのものでもある。ここで説話の構造とは、結末部において映画全体が「死刑囚の手記」としての回想であったことが明らかになる、ということだが、モノローグを多用するならこれぐらい巧みにやってしかるべきだろう。
だからこそ「これからどこに行くのか分からないが、そこでならドリスに云えるかもしれない。この世の言葉では云い表せなかったことを」などという最期の台詞も私には白々しいものに聞こえなかった。これは自分にふさわしい言葉を見つけられなかった男の物語なのだ。きわめて切実な結末。そしてそれを可能にしたコーエンのモノローグ演出、ソーントンの演技。
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