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[コメント] インソムニア(2002/米)

会話主体で感情を揺さぶりつつ進めていく捜査手法が映画的に楽しいのと、睡魔や不安など感情を現す映像上の処理が抜きん出ていて、退屈せずに最後まで観られた。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







アル・パチーノロビン・ウィリアムスも、役柄上しょうがないところもあるが、どうも精気がなく爺むさくて、二人で画面いっぱいになって顔付き合わせているシーンなど(何度もある)、絵として最悪で老人ホームに迷い込んだかのようだ。

フィンチ(ウィリアムス)とウィル(パチーノ)の共通点は、一人は人としての(これは決定的なことだ)、もう一人は刑事としての、越えてはいけない"一線を越えた"ことにある。二人とも、まさにセリフの中で、名刑事にして人間観察眼の優れたウィルが言う如く、二度目以降は心理的抵抗線も下がり、行為をエスカレートさせていくことになる(はずだ)。だがフィンチが、殺人者の選民意識とでもいうような、屁理屈を獲得して自己を正当化していたのに対し、ウィルは、不眠症のせいかどうか、最後まで罪の意識に苛まれているように見えた。これは、相棒が自分の腕の中で死んだことを確認した後ウィルが取った行動の素早さと比べると、人物造形に矛盾が生じているように思える。ストーリー展開の為に迎合されたキャラクターだと言われてもしょうがないところだ。つまり、ウィルがどちらに転ぶか、最後まで分からないようにしたのである。とはいっても、通常人間というものは、ギリギリまで善を貫いた者が最後に悪に転ぶということはあるが、悪で通してきた者が最後に善に転ぶ(って変な言い方だが)ということはない。したがって、なんのためにそうしたのかということを考えれば、ストーリーは結局先が読めてしまう(善に転ぶんだな、と)。

この映画は、極めて複雑なモラルの迷宮を自分で造り上げている。だが実際は、モラルというものは単純明快なもので、複雑なのは現実社会の方である。だから、あっさり迷宮から脱け出すと、迷宮自体が不自然なものとなってリアリティを失ってしまう。それゆえ、あそこでウィルを死なせざるを得なかった。その死に方はけっして不自然なものではなかった。ゆえに、ウィルのモラルを継承する(べき)エリー(ヒラリー・スワンク)にもう一歩踏み込んで、あの後彼女が取った行動まで描いてくれたら、私の中での名作(もう★一つup)に入っていた可能性はある。小屋の前で立ちすくむというラストは、迷宮から脱け出せなくなった製作サイドを象徴しているようにしか見えなかった。

75/100(02/12/08見)

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)おーい粗茶[*] けにろん[*]

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