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[コメント] ザ・ロイヤル・テネンバウムズ(2001/米)

これは傑作でしょう。まったく驚異的な演出力。
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**ネタバレ注意**
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これだけ多くのほどよく奇矯なキャラクタたちを創造しえたことは率直に賞賛に値すると思うのだが、そのキャラクタたちをよしとするか否か、云い換えれば、彼らを愛すべきものとして受け容れられるか否かによって作品自体への評価が肯定的なものと否定的なものに分かれてしまうのはある程度仕方のないことではあろう。しかし、ここで真に驚愕し賞賛すべきはあくまでウェス・アンダーソンの演出だ、ということははっきりと云っておきたい。それはキャラクタやテーマへの個人的な好悪を超越するものである。

その演出についてもう少し具体的に云えば、それは「画面内/画面外への人物の出し入れ」ということになる。画面外から画面内へ人物が入ってくること、画面内から画面外へ人物が出ていくこと。それは単に人物の移動によってだけではなく、パンやドリーなどのカメラワークによっても行われているのだが、いずれにせよこの作品における「人物の出し入れ」の演出は、それだけで映画が成立してしまっていると云っても過言ではないほどに驚異的であり、感動的なものだ。

最も分かりやすい例をひとつ挙げよう。終盤、ベン・スティラーのふたりの息子とジーン・ハックマンがゴミ収集車か何かにつかまって街を疾走するシーン。中盤で描かれた出来事のまったくの反復かと思いきや、ハックマンの後ろからスティラーがひょいと姿を現す。(これは厳密に云えば「画面外から画面内への人物の移動」ではないが)ただ体を左に三〇度ほど傾けるというだけの動作によってスティラーが画面に登場すること、それ自体が、万言の言葉よりもはるかに雄弁に「親子の和解」や「幸福」を物語っている。

「家族の解体と再生」「心の傷とその回復」「天才の栄光と挫折」がこの映画のテーマである。などと云っても決して間違いではないだろうが、切実ともありふれているとも云いうるそのようなテーマ自体は私にとってはどうでもよい。「人物の出し入れ」を軸としたアンダーソンの演出はそのテーマを十全に表現し、なおかつそれ以上のものを語っている。だが、その「それ以上のもの」がいったい何であるかを言語化することはできない。すべての優れた映画がそうであるように、この『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』もまた言語化できないものの表現を目指し、それに成功しているからだ。繰り返すようになるが、その成功は純粋にアンダーソンの演出によるものだ。

あるいは、以上に私が述べたことに肯けないのであれば、この映画におけるズームアップ、フラッシュバック、スローモーションを思い起こしてほしい。映画を殺してしまうことのほうがはるかに多いこれらの技法を映画を輝かせるために使いえているというのは、アンダーソンがまぎれもない一流の映画監督である証ではないか。

(評価:★5)

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