[コメント] ボウリング・フォー・コロンバイン(2002/カナダ=米)
映画を見終った人むけのレビューです。
これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。
まず彼(マイケル・ムーア)の主張の根幹が妙だ。中部の白人(つまり典型的金持ちど田舎者)とライフル協会がアメリカの銃による殺人、更に世界に対してのアメリカの被害妄想攻撃スタンスとなっている、とする主張ですよ。
簡単に言えば銃による殺人はアフリカ系とスパニッシュ系と中国系の揉め事がほとんどであってカナダにないのはそのギャングの構成比率が低いからだろ?普通に日本で想像してみいよ。日本にこういった移民が移民として大量に移り住んできました。彼らは生きる為に必死だし裏社会の助けも必要だろうからそういった殺人比率も上がるでしょ、内輪どうしで。その殺人件数の増加をマイケル・ムーアは「東北の善良ぶってる農村部の閉鎖性が!」「そしてそれを強力に擁護している農協が!」とか言ってるわけよ。意味わからんか、飛びすぎた(笑)。
アメリカでは中部の白人文化は確かにちやほやされてきた。それは取るに足らない弱小集団なわりに選挙では重要なポジションを占めるからなのだ。人が少ないのに多様性が少ない←ここが重要。大統領になろうとする連中はこの似た様な価値観の連中(裕福な白人ばっかだから)に取り入れられようとする。
これを日本で言うと人が少ないのに政治家を多数選出出来るど田舎、うちの実家のような所を指すわけだ。人が少ない上に国政を操れる比率が高い集団と言ったら農村部→農協。自民党がいつまでたっても一昔前の政治をやっているように感じるのはこの地方(の農村部)優遇政策からきている。これと似ているのがアメリカ中部なわけだ。マイケル・ムーアが嫌ってるのはこういった身内(俺で言う実家の地方政治)。『サウス・パーク』やこの作品の攻撃のターゲットはそういった「純朴な(笑)過疎化地域の人々」への攻撃なんですよ。だって都会の人が田舎の人に向かってこれやったら凄い角が立つでしょ? 昔、田中角栄(真紀子さんのお父さん)を東京の人間が叩いた時にはえらい反発だったからな、新潟三区。政治では強い立場が弱そうな立場を叩くのは禁じ手なのですな。(それを利用して個人対政府というスタンスに導くのが常套手段)
彼はね、自分が強い立場にいる人種だって理解しているのよ。だからあえて身内を叩くのが自分の仕事だと思っている。こういう人は「自分より弱いカテゴリーの人は絶対叩かない」。つまり貧乏人やアジア人、アフリカ系が絡む政治問題は本能的に脳の中からすっぽりと抜け落ちている。
マイケル・ムーアは俺が指摘した事実も当然知っている。しかし白人である彼が「アメリカの銃犯罪は黒人や中国人が起こしてる、こんな連中は即刻排除すべきだ」とか言ったらどうなる?それこそ本物のバッシングが待ってますよ。日本と同じようにアメリカでも言っていい相手とまずい相手がいるわけです。実はこれが言えないからアメリカから銃犯罪がなくならない。根本で問題のすり替えが行われている映画なんですよ、これ。
ライフル協会を叩くのは一種の逃げ。人種差別と銃犯罪が絡んだ結果として誰もが本音を言えなくなっている。そんな空気を感じる映画。決して彼は本音を語っていない。
弱き者を擁護し強くて裕福な者を叩く。政治の世界ではこういう手法はよくある手だがこれで解決した政治問題ってないんだって、ホント。
(評価:
)投票
このコメントを気に入った人達 (2 人) | [*] [*] |
コメンテータ(コメントを公開している登録ユーザ)は他の人のコメントに投票ができます。なお、自分のものには投票できません。