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[コメント] HERO(2002/中国=香港)

ケンカやスポーツに限らない。一つのことに夢中になり、燃えて燃えて燃え尽きて、冷却期間をおいて過去を振り返ったとき、教訓が得られる。しかしこの映画は冷却期間ばかり。
空イグアナ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「武は舞なり」である。言葉として認識していなくても、これまで多くの監督がそういう信念のもと、魂のこもったアクション映画を撮ってきた。体を張ったアクションというものは、乱暴なばかりではなく、ときに美しいものだ。

しかし本作は、はなからバレエダンサーにどのような踊りを踊らせるか、そればかりを考えているとしか思えない。美しさばかりを追求しているのだ。どのような戦いを見せるかなんて二の次なのだ。

ラストで示される剣の極意とは、剣を捨てること、なのだそうだ。それ自体は立派な教訓だ。しかし、そこに到るまでの過程が足りない。

秦王も言っていたではないか。剣の極意とは、まず剣を使いこなすこと。次に、剣を持たずとも百歩先の敵まで倒すこと。その果てに、剣を捨てるという極意があるのだと。

つまり、そこに到るまでの、激しいバトルを見せるべきなのだ。バレエではなくバトルを。目を見張るような剣術のバトルに、スクリーン越しにそれ見ていただけの観客が、燃えて燃えて矢吹ジョーなみに燃え尽きるとき、「王を殺すな。剣を捨てよ。」という剣の極意を語るべきなのだ。

二転三転する物語も、決して推理小説のような驚きを与えてくれるわけではない。また映画全体は舞台劇を見ているようである。秦王とジェット・リーの対話を中心に物語は進み、各シーンは狭い範囲しか映されていない。それが悪いというのではない。ただ、舞台劇だとスケールが小さくなるから、たくさんのエキストラを準備してごまかした、という気がする。私には、それがかえってむなしく感じられるのだ。スケールなんか、デカくなくてよいではないか。ヒッチコックなんかは、舞台劇のような小規模の映画を、面白く撮っていたではないか。最近ではシャマランがいる(彼は中国の時代劇なんか撮らないだろうけど)。ハリウッドもそろそろ、スケールの大きな映画から脱却したらどうだろう。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)けにろん[*]

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