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[コメント] ミスティック・リバー(2003/米)

ベーコン。(特に意味なし/★3よりの★4) 2004年1月17日劇場鑑賞
ねこすけ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







あの黒人警官(ホワイティ)はローレンス・フィッシュ・バーンだったんですね。エンドロールで始めて知りました。何か、「良い脇役だなぁ。存在感を保ちつつも上手く控え目で」と一人で感心していたら、彼でした。

と、言う感じに俺は映画を見る時、に大体前知識をあまり入れずに観ているのですが、今作は変な宣伝のお陰で(もう一つの『スタンド・バイ・ミー』)何か訳の分からん想像をしていた。

ちなみにキャスト的に犯人はケビン・ベーコンだと映画が始まる前まで思っていたけど、この映画で彼は決してその手の役ではなく、本筋のドラマには大きく絡まない「刑事」として描かれていたと思う。

確かに上手い作品だった。演出に派手さを盛り込まず、硬派に物語を語ることに徹している構え方には好感が持てる。最近の映画では中々感じる事が出来ない感覚。音楽は監督自身のモノの様子だけど良く出来ていると思う。

ミステリーとドラマを上手く結びつかせてそれぞれの心の奥底に潜む、闇、と言うかトラウマ等々を焙り出す巧みな脚本。静かに、しかし激しく撮る演出と、ドラマを見事に引き立てる最上級の役者達。全てが上手く噛み合った、非常に良く出来た見事な作品であったと思う(けど、終盤に少しだれた感もしたのが残念だし、これはギリギリ2時間以内に収めて欲しかった気もする)。

ボストンの閑静な集合住宅地。被害者の車が発見された時のヘリを捉えながらの空撮のカットで何かあの住宅地に悲しさを感じたのは俺だけでしょうか?

とにかく演出の面ではかなりレベルの高い作品だったと思う。脚本と監督、撮影、役者、他もろもろ、全ての融合が見事に成された作品ではある。

ただどうしても、しきりに言う「心の闇」と言う部分をイマイチ感じられなかった。

この作品で感じたのは、闇と言うよりもむしろ運命、人生の皮肉、といったモノで、「ガキの頃の友情の儚さ」と言う感じのモノだった。しきりに言われる虐待がどうのこうの、と言う感じには思えなかった。(個人的に「足りないと思う事柄」に関しては下の方に記述)

思うに、少し極端な話になるのだけど、この作品は別に誘拐+監禁じゃなくても良かったのではないだろうか?と思う。家庭内暴力だと別の話に成りかねないのだけれど、この話はもっと別のトラウマを抱えた物語でも十分成り立った様に思える。いや、別に深い意味は無いんだけど、何と無く思っただけです。はい。

で、この作品は3人の男(とその妻)との関係を描いた作品。昔の頃仲の良かった奴らがある日(事件)を境に関係が薄れていき、そして今、一つの殺人事件がお互いをつながり合わせる。

でも、細かく分断して考えてみれば、「妻に逃げられてガキの名前も知らされない。妻からは時折無言電話がかかるだけ。(結局「I'm sorry」がいえなかっただけなのか?)自分の全てを捜査に当てて他の女に目もくれずひたすら妻を待つだけの空虚な日々を過ごす刑事。ある時殺人事件に出くわして・・・。被害者の父親は昔の友達(今は挨拶する程度)。加害者は・・・昔の友達!?疑いながらも捜査を続けていき・・・」。

「過去には犯罪を重ね、街のワルを仕切っていたが、仲間に裏切れて警察にパクられる。その間に妻には死なれ、家に帰ってみれば娘からの”ムショよりも怖い視線”を浴びせられる。裏切った”ただのレイ”を殺し、その家族に偽の送金をしてあたかも彼が生きているかのように偽装して、過去の事実がばれる事を脅えながらも堅気に生きる日々を過ごし、娘を愛し、新たに妻も迎えて平凡な日々を過ごす男。ある時突然娘が居なくなり・・・。その犯人は・・・昔の友達!?ぶ、ぶっ殺してやる!!しかし、殺した後に知った事実。

実はデイブは無関係で、殺したのは昔自分がころした”ただのレイ”の息子。おまけにその息子も親父の敵討ちと思ってやった訳でもなく、娘が”偶然”その場に来て、”偶然”銃が暴発したから。という皮肉な結末。」

そして「幼い頃友達の目の前で拉致られて監禁された過去のトラウマを「忘れた」と自分に思わせる事で必死にどうにかしているデイブ。どうしても消えない過去の傷と戦いながら息子を可愛がる。しかしある日道路脇の車内で少年に猥褻行為をしている(と思われる)男を発見し、男を殴り殺してしまう。その時過去のトラウマが鮮明に蘇り、少年(=自分の少年時代)に「逃げろ」と叫ぶ。あたかも自分に言い聞かせている様に。その事件後、家に変えるも思い出したくないので支離滅裂な証言を繰り返し周囲に怪しまれ始めるデイブ。

過去のトラウマから逃げるだけの毎日・・・しかしショーン・ペンに殺されてあえなくジ・エンド」

という3つの話。これだけ密度の濃い話(しかも上記もかなり省いている上に、この作品で重要なのは主役三人だけではなく、それぞれの妻もポイントだと思う)を2時間少しにまとめているのは大した物だとは思うけど、正直2時間以内か、2時間ちょっと程度にして欲しかった。

心理描写の見事さも中々なのだけど、どうしても俺にはそっち方面の葛藤よりも、この複雑に交じり合う「疑惑」と「真実」の交錯と、そして”偶然の皮肉”の空虚さの方が目立って仕方なかった。

別にショーン・ペンが”ただのレイ”を殺したから娘が殺された訳ではない。単純に娘がその場にたまたま居合わせて、たまたま暴発しただけ。ケビン・ベーコンがたまたまた刑事だったから3人が再会した訳だし、デイブ(ティム・ロビンス)だってたまたまあの日に少年を助けて男を殴り殺したから疑惑が生まれてしまっただけ。

全ては偶然の皮肉。だからあの場でデイブのみが誘拐されたのも、”たまたまデイブだった”だけだった。だから劇中の登場人物はしきりにあの時の事を回想して「俺だったら」だとか「皆連れ去られていて、実はこれは悪い夢で穴の中で思ってるだけなんじゃないのか?」だとか思っているだけなんじゃないのか?と思う。

つーかこの話は最初から「虐待による心の闇」だなんて事を描く事よりも人生の無情、皮肉を描きたかっただけなんじゃないのか?と一人納得している(17のガキが語れる範疇では無いけど)。

たまたまあの事件があったから3人の交友が無くなっただけ・・・結局過去の事実は思い返してみればどうにでもなるけど、当事者からしてみれば「そこにあった」という事実しか残っていなく、「もし・・・」なんてありえない、と言う事なんじゃないのかな?

まとまってないから自分で何言ってるのかよくわからないけど。

◇個人的に足りないと思うこと◇

個人的に思うのが、(俺だけの話かもしれないけど)デイブの心の闇を描くのならば、幼い頃のデイブの記憶の”恐怖”を、もっと観客に見せ、植えつけるべきだと思う。

作品中で語られるデイブの”恐怖”は「や、やめて!」のシーンと森を逃げ惑うシーンのみ。それでデイブの過去へのトラウマに感情移入するのは少し難しいかと思う。

やはり観客にある程度の恐怖を与える事も必要だと思う。そこで観客が劇場を出ても構わない、くらいの勢いの描写(=記憶)を多少なりでも与えるべきではないか、と思う。

そのシーンを如何に洗練して(要するに直接的な描写を避けながらも直接的な想像をさせる演出)撮れるか?という所が本作の序盤で最も必要とされる技術では無いだろうか?イーストウッドはそれを意図的に排除したのかもしれないが、それだけ強烈に観客に嫌悪感を植え付けておけばその後のドラマでも否が応でも感情移入せざるを得なくなると思うのだが?

この作品で、(俺だけかもしれないけど)デイブの心の闇の部分に関して感情移入し難いのは、その様に観客に同じ様なトラウマを植えつけきれて居ない事から生じた問題だと思う(個人的にそういう描写では『ファニー・ゲーム』が最も素晴らしいと思う)

この作品は感情移入させてナンボではなかろうか・・・?

っていうか、俺は当初「虐待」と聞いてたもんだから、幼い頃の性的虐待のトラウマによって闇を抱えてしまって人を殺してしまう男と、その元親友を描く話かと思ってたけど、それじゃ明らかに質が違いますね。

この作品の”トラウマ”の描き方には割と好感が持てる。

とは言うものの、デイブの葛藤、ショーン・ペンの葛藤はよく伝わった(正直ケビン・ベーコンの役柄にはドラマはそれなりにあったけど、むしろストーリーの進行役でしかなかった気がするのが残念)。

役者達の演技と、上質な演出と脚本に免じて★4献上。

余談ですが、「”It”と呼ばれた子」という、幼い頃の家庭内暴力の記憶を綴った本があります。

その本はノンフィクションで作者本人の実体験に基づいているのですが、作者の名前が「デイブ・ペルザー」と言う人なんです。

いや、偶然の一致て事が言いたいだけです。

とは言うものの、デイブの葛藤、ショーン・ペンの葛藤はよく伝わった(正直ケビン・ベーコンの役柄にはドラマはそれなりにあったけど、むしろストーリーの進行役でしかなかった気がするのが残念)。

役者達の演技と、上質な演出と脚本に免じて★4献上。

余談ですが、「”It”と呼ばれた子」という、幼い頃の家庭内暴力の記憶を綴った本があります。

その本はノンフィクションで作者本人の実体験に基づいているのですが、作者の名前が「デイブ・ペルザー」と言う人なんです。

いや、偶然の一致て事が言いたいだけです。

追加(1月19日)

まぁこの話、今になって思う訳だけど、要するにイラク報復処置への批判(ショーン・ペンが行った報復は無益)と、それを後押しする世論、を必死に作ろうとする為に必死に戦争を正当化して自らを擁護しようとする姿勢(ショーン・ペンの奥さんの「アナタがこの街のボスよ」という、明らかに”間違った”発言)。

要するに王様は何をやっても許される、と思っている地点で大きな間違いなんですよ、アメリカさん。という社会派映画。

ついでに言うと小児虐待と偏愛は有名歌手、マイケル・ジャクソンに関する事ではなかろうか?まぁ別にマイケル・ジャクソンに限った話じゃないし、こんなに大々的に報道されてるのだって、たまたま彼が有名で、そしてその彼に、疑惑(1月19日現在)が浮上した為に過ぎない。

まぁどちらにせよ、アメリカでも(日本でも度々虐待のニュースは良く聞くし)この問題は社会問題なのだろうから、イーストウッドはその被害者(の心の闇)を描く事で「だーめだめ」したかったんじゃないのか?まぁその心の闇、と言う部分に関してはデイブの部分以外はイマイチ分かり辛いのだけど、被害者本人のトラウマを描けている地点で、その問題に対する”言葉”は十分足りている様に思える。

イーストウッドは「虐待による心の闇」にはさして興味は無く、むしろ”虐待”と言う点は上記の事を絡めただけで、あとは、アメリカ政府に対する批判をとんでもなくデカイ声で、しかしスマートにまとめたかっただけ、じゃないのか、と思う。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] 水那岐[*]

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