[コメント] 恋人たちは濡れた(1973/日)
三波春夫と都はるみの明るい旋律が情報の閘門となって失恋を確証させず、ただ重い気分だけを通用させている。人生には後がないその気分は、魔法のようなダッシュボードのミカンと正露丸その他の重々しい喜劇として感知されている。
恋人たちは持続の危うい馬とびと回転自転車を駆使してすでに終わっている恋のありかを追跡し水没に至る。
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