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[コメント] 米(1957/日)

足下の生活文化に胡座をかきながら、その貴重さ・尊さに気づかない、時代を先取りした映画と言える。のかも。
G31

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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 説明台詞の多用、状況説明のためだけにあるエピソードのオンパレードが、役者の演技に大仰さを要求し、それに耐えられなくなる役者陣が、痴呆の如き乾いた大笑いを連発する。加藤嘉望月優子といったベテラン陣は、そんな中でも自然な演技を心がけているのがわかるが、彼らでさえやりようもなく無意味な芝居を付けているのを見ると、どうしようもなく悲しくなってくる。

 誠実に作ってるのは伝わるから軽蔑の気持ちは起きないが、実に馬鹿馬鹿しい話だ。村の有力者に一万円(今の貨幣価値に直すと・・・?)を渡して警察沙汰になるのを防いでもらおうなんて、いったいいつの時代のどこの国の話をしているのだ? 今じゃ昭和30年代は<貧しかったけど希望に満ち溢れていた時代>だてなことになってるけど、こんな無理からの設定を探し出してこなけりゃ<農村の窮乏>を描けなかったのだとすれば、確かに希望だらけの時代だったのかもしれん。

 昭和30年代の土浦駅の駅前に、農村部から出てきた望月優子を、絣のもんぺ(?)姿に破れ傘を持たせて立たせる。現代都市に突然江戸時代の人が現れたみたいに見えて、思わず吹き出してしまったよ。もちろんこれは、近代都市の景観と、その近郊でもまだまだ残っていた前近代、を対比させる意図の描写なのだが、だとしても破れ傘はやりすぎだと思う。お前は山上憶良か、と思ったね(←意味不明)。ラストにしても、次男親子がバスを降りて、カメラが左にパンすると、葬列がドンピシャという感じで現れる。時間の経過はカットの繋ぎでいくらでも描けるわけだから、同じ秒数でもっと自然な描き方も出きるはずなんだ。これを平然と、というか敢えてやってるんだと思うが、やって恥じないのが東映調で、私の最も嫌いとする所。

 一方で、農村に生きる若者たちの青春群像、という趣きもあって、これは不自然な台詞回しや役者陣の大仰な演技といった生硬さが、かえって功を奏していて、それなりの情感を紡ぎ出していたと思う。

70/100(07/12/08見)

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)氷野晴郎[*]

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