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[コメント] TAKESHIS’(2005/日)

自壊も述懐もただのネタ。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







「売れてるオレのほうが、売れていないオレの見ている夢かもしんない」と言うことをこうやって映画として作っている時点で、心情を吐露したもののようには思えない。要するにこれは世間的にわかりやすい「北野武のアンビバレンツ」の図式にのったネタなんだと思う。だってもう一人の自分が自分を殺すなんて描写は、実生活で実行しちゃう人にはかったるくてやってられないでしょう。

では、ネタとして何がしたかったのかというと、「夢の脈絡のなさ」による「突拍子もない展開」にあったのではないかと思う。夢の中では一見まともに筋が進行していても、夢の中の人物のふとした台詞や、夢の中の自分が思ったことがきっかけとなって、話の展開や舞台がフィっと移行してしまうということがあると思うのだが、ただそれを面白いと思っただけなんじゃないかと思う。「俺は金儲けのためにしているんじゃないんだよ」という台詞が銀行家と雀荘の親父の台詞で繋がったり、ラク日→花束→毛虫→美輪さん、ファン贈り物→花束→毛虫→美輪さんみたいな無意識の自分が好むループがあったり、そろそろあの女が邪魔しにくるんじゃないか、と思ってると岸本加代子が現われたりっていう、実生活の記憶の断片が寄り集まって全体を為していく夢の面白さを描きたいと思ったのではないか、と思う。北野監督が仮題として「フラクタル」という題名を考えていたのであれば、ふつうにフィクションを作るという自覚があったように思う。

この作品を、素直に「売れっ子タレントたけし」が夢想したこと、と考えると構成もけっこうわかりやすいと思う。入れ墨のメイクをされながら「もしオレに運がなくて売れてなかったら、あいつ(武)のように、いまごろバイトしながらオーディション受けてるんだろうな…」というのが夢の導入で、「武の奴って、きっと自分が売れたら、ファンの子がアパートの前で待っていたりとか、若い女とやったりしている自分を想像してるんだろうな」と夢の中で考える。たけしは武が自分に憧れていると思うから、ファンの子も愛人も自分のそれを登場させるのである。そして「でもいつまでもうだつがあがらないんで、(憧れの)オレの映画の主人公にみたいに銃をぶっぱなして力を手に入れる夢に現実逃避するんだろうな」と、夢で想像した他人の見る夢を想像していくのだ。

夢を描いたものなんだけど面白いなと思ったのは、夢=超現実の世界だけにとどまらず、夢が無限に夢を見ていく構造を表現した点と、タクシーで死体を避けながら徐行するシーンや、裸の松村と内山が楯をもって発砲する武に進んでいく絵の面白さ。あと、作品の中の現実のたけしが入れ墨を入れられながらうたた寝をし、本編の中心である「武の夢」を見る前と後に「日本兵の夢」がインサートされるところ。これって「さっきの夢に戻る」っていうやつかな? そういうところがやっぱ面白いと思った。

(評価:★4)

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