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[コメント] 1秒先の彼女(2020/台湾)

相対速度で1秒ということ? もっともこれは邦題が勝手にそういってるだけだろうけど。
おーい粗茶

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憧れの人に手が届かない、という冴えない男の子の心情の代弁ととらえると、これはこれでなかなか気の利いた邦題とも思う。と、同時に、この言い方だと、男の子側からの角度で語っていることになってしまっている。一方、原題は「消えたバレンタイン」で、これは女の子からの角度。女の子側で見るか、男の子側で見るか、作り手はフラットな立場で作っているのでどちらからでも見られるから、どっち側から見るかで感想が変わってくるような気がする。私には、女の子のほうの「なぜかバレンタインの日の記憶がない」という謎かけをする前半のドラマと、男の子のほうの「なぜか世界が止まってしまっている」という謎解きの後半のドラマのバランスと、両者のつながりが今一つしっくりいってない印象だった。

「男女のすれ違い」は恋愛ドラマの鉄板であるが、おおむね道(方向)を間違えて出会えないのだが、同じ順方向を速度差によって出会えないという発想は面白い。1秒(日本基準以下略)先を行く彼女にとって、待望の王子様はずっと後方で必死に彼女に追いつこうとしているのに、彼女はその存在に宿命的に気づけない。彼女の背中を1秒遅れで追う男の子は、アキレスと亀のようにその差を宿命的に縮められない。それがうるう秒の精算をうるう年で調整するような奇跡が突如起こり、亀はアキレスに追いつくというのがこのドラマの肝なのだが、そのせっかくの奇跡があまりうまく機能していないと思う。

奇跡を味わうためのドラマというのは、観客にとって「起こって欲しいと思うことが起きる」ことであると思う。となれば、奇跡が起きる前に観客にその奇跡が起きたらなぁ、と思わせ、なかなかそれが訪れないように焦らすことが必須なのだが、このドラマ、女の子と男の子の2人が「どうか出会えますように!」と思わすことに成功していない気がする。端的にいって、この2人があらかじめ運命の2人なのですよ、という提示ができていないからなのだと思う。子どもの頃のエピソードを開巻で持ってくるとかすれば、それができたような気もするが、なんでバレンタインの1日だけがなくなってしまったのか、というミステリ味は損なう気もする。

もてない男の子が1日だけ憧れの女の子をフィギュアのように弄ぶ(というと身も蓋もないけど、そう思わせないように演出は最大限注意を払っているのだろう)願望なのか、憧れの男子は実は身近にいるのに気づかないだけですよ、というアラサー女子の願望なのか、バスを干潟で走らせたかったのか、おおがかりなパントマイムを演出したかったのか、それら全部なのか、いまいち監督のしたいことがてんこ盛りすぎて収集がつかなかったという感じだった。

余談だけど、時間と登場人物の関係でいうと、女の子が「通常タイムより早い」、男の子が「通常タイムよりも遅い」そして「通常タイム」の人がいる。男の子のうるう日に通常タイムの人たちはうるう日が起こっていることに気付かないだけで1日が消えたりしないのだが、たまたま女の子の逆うるう日が同じ日だったので、彼女は1日消えてしまったということなのだろう。こういうのは監督の子どもの頃の妄想がベースなんでしょうかね?

(評価:★4)

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