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[コメント] サイン(2002/米)

「先生、その式の立てかたは却って分かりにくくないですか?」な、マス北野も多分びっくりのシャマラン式算数。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







すべてのことには意味がある。天啓(=神のお告げ=SIGN)の何たるかを見逃すな。とか。 そんなことを言いたかったのだろう。そういう問題提起自体は珍しいことでないと思うのだが、監督はそれを語るにおいて、ある種の設問(なぞかけ)をつくってそれを観客に投げかけるという方法をとった挙句、その設問の立て方が今ひとつ独り善がりで一般に広く通じていないという感じがある。

日ごろからそういう問題に取り組んでいるシャマランゼミの生徒たちには、シャマラン先生の設問が何を意図したものかツーカーで響いてくるのだろうが、そういうところがゼロベースの人には「何を問題としているのかわからない」ということになっちゃってるように思う。テーマがわかりづらいのではなく、設問のたてかたがヘタなのだという気がしてならない。『アンブレイカブル』というのは、重要なオチの部分において、監督が凄く気にしていることが、観客は気にもしていなかった、という食い違いがあり、監督がジャンジャジャーン!と得意げにベールを解き放ったのに、「は、それが何か?」みたいな失敗をしていたと思うのだ。

本作では、その反省(?)からか、監督はズバリ物語の途中で、設問事項をわざわざ主人公に語らせる。それはむろん確実にテーマに辿りついてもらいたいがためにだが、またしてもここで監督と観客に「問題意識の差」があることが露呈してしまう。

世の中には2種類の人間がいる、「それは奇跡を単なる偶然ととる人たちか、奇跡には常に神の意志があるととる人たちかだ」と。

世の中ってその2種類に分かれますか?っていうのが私の感覚。「偶然っていうのは神の配剤だよね」と思っている人には「偶然か?神の必然か?」っていう分け方が???じゃないのかな? 「それって同じことじゃないの?」と思う人には、ここがわかりずらい。「すべての事象には神の意図がある」というテーマ(結)を導くため、「単なる偶然」という反証を持ち出しているつもりなら、それらが「単なる偶然では有り得ない」という証明をしないといけないけど、別にしていないよね? というかむしろ、偶然にしか見えない、という仕上がりになってないかな? そうならば、この証明方法は無効だし却って混乱を招いている。逆算して物語(起承)を構築するとしたら、その逆算の仕方がここで間違っているように思うのだが。

私はシャマラン監督の最も傑出した才能というのは、「不安な兆候の描写」にあると思う。それが味わえればオチなんかなくてもいいのだ。『シックス・センス』はあのオチがなくても大丈夫だったと思うし、『アンブレイカブル』も余計な謎の解答を最後に持ってこないほうが却って良かったのだと思う。今回の場合は、結にいたる転でこけているだけでなく、その不安な兆候をもっとも発揮できる承の部分もおかしい。宇宙人の来訪に対する怯えが変なのだ。ミステリーサークルが出来たり、変な物音がしたりとかという以外に具体的な恐怖がない状態で、円盤が来訪したという事態に即した時に感じる不安というのは、「何が起こるかわからないという不安」であるはずなのに、最初から「何か酷い目にあわされる不安」なのである。そのモードで鑑賞できない限り、この時点ですでに置いてきぼりを食らわされる。

chilidogさんのコメントみて笑ってしまったのだが、これ「裏『フィールド・オブ・ドリームス』」だよね、まさに。「電波ベースボールUSA」の2本立てでやったら相当面白いと思う。どっちも「天の啓示」「トウモロコシ畑をなぎ倒す」「野球」だもの。三題噺かよっ。ミステリーサークルと思ったものが、メルがマイナーどまりだった弟と伝説のメジャーリーガーの対戦のために作ったダイヤモンドの形だったっていう話でも、「奇跡を信じろ」っていう話にできそうじゃん。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)chilidog[*] けにろん[*]

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