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[コメント] ドラゴンヘッド(2003/日)

弦楽のスコアはオーソドックスなパニック映画風でこれが全然合わない。監督が描くカタストロフィはとっても仮想的なのだ。ぼくらに破滅や絶望の旅を探検させてくれない大脳映画。
おーい粗茶

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







まず朦朧とした意識が次第にはっきりしてきたら、もっと状況を知ろうとするでしょ。まっさきに窓の外を眺めどこなのか知り、次に生きているやつがいないか確認したり。恐怖を忘れようとして、そういうふうになると思う。悲鳴をあげてころげまわってばかりという点で、もう頭の中で考えた世界って感じになっちゃっている。

特に、冒頭主人公が他人と接触するまでは、あくまで主人公目線でこの世界を手探りで伝えてくれる演出のほうがふさわしく思う。そういうのに必要なのが、主人公の五感の感覚なのだ。痛み、遠くで響く音、息苦しさ(台詞で「暑苦しい」なんて繰り返し言わせるのは…ちょっとねえ?)、それが観客に伝われば、トンネルの闇の中、恐怖の本質を感じさせることに近づけたのではないか? それがないとノブオ(おお!これこそまさに電車男!)の「恐怖と仲良くなれ」という台詞が効いてこないし、後で出てくるロボトミー手術のような設定にもつながらない。

トンネルを出たら一面灰の世界。ここまではよかった。それなら主人公は「早く人工物(文明)に出会って安心したい」と町や建物を探し求めて焦るはずで、そうすることで観客は探検モードに入れるのだ。ところが、シーンがきりかわると、もうガスタンクみたいのが風景におさまって、その下を主人公たちが歩いている。ガスタンクみたいんでも見つけてうれしいはずでしょ、なんせ最初は見渡す限り砂漠みたいなとこだったんだから。監督ずばり映像ばかり見てて、外を出歩かない人なんじゃないかな。視覚以外に語るべき感覚が凄く希薄。だとしたら少なくともサバイバルものは無理。もっとホラーっぽくいったほうがよかったかも。

恐怖をロボトミー手術や薬で除去する(確かこれがドラゴンヘッドってタイトルの由来だったと思う)とあるけど、だとしたら熱さや痛みなどは「反射」だから体は反応するんだよね、ピクっと。棒立ちで炎につつまれるんじゃなく、感情はいっさい起こらないのに、体だけが電気的に逃れようとギクシャクしてしまうほうがよっぽど怖く哀しかったと思う。こんなところも大脳的な演出と言えるかも。

根津甚八が、昔だったら唐十郎がやりそうな役をやってたのがちょっと面白かった。サヤカちゃんのパンチラは契約に入ってなかったんでしょうね…。ごめんねこんな話ばかりされて。 

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)すやすや[*] 水那岐[*] 映画っていいね[*]

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