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[コメント] イージー・ライダー(1969/米)

映画として採点すると、この点以上つけられない。イージーなのは、ライダーではなく、映画そのものなのだが、出来の悪い映画であるにせよ、これほど影響力のある駄作も少ない。
ジェリー

アメリカン・ニュー・シネマという言葉が嫌いだ。ジャンルとして大仰な感じがする割には、優秀作品がないからだ。この映画も「優秀な」作品ではない。まず、映像が私の好みに合致しない。急激なズーミングや妙なカットバックなど嫌いな要素が多い。一般的にはキャメラの存在を感じさせる技法は、キューブリックやヒッチコックなどにしか許されない話であり、通常レベルの才能が扱うととんでもないものとなる。ヴィスコンティですら失敗するのだ。そして、この映画は典型的失敗例である。(その失敗ぶりが見事に凡庸だというおまけまでつく) オープニングからエンディングまで安易な映像にこの映画は満ち満ちている。

しかし、だ。

出来の悪い映画であるにせよ、ドラッグ売買および摂取・乱交・人種差別発言・私的制裁とこれまでアメリカ映画が決して映像にしなかった世界がつるべ打ちのように登場するこの映画、髪の長い人たちが「フリークス」としてしか認識されず、社会的に認知されていない状況を告発するこの映画の社会的インパクトは大きい。

出来の悪い映画であるにせよ、この映画のもつメッセージは明快だ。そのメッセージをめぐっては、ふたりのライダーを擁護する意見・批判する意見という軸で双方出たことと思う。どのような意見が出たか想像することは実に楽しいが、「彼らふたりは思いのほか愛国者である」というもっともらしい意見を吐いた馬鹿者は多かろうと想像する。(アメリカの国旗をしょっているしな)この映画のメッセージの重みを無化する意味で、この意見が最も狡猾で悪質だ。革新者を装う本質的怠け者が抱きがちな折衷主義的意見として、このタイプの意見を私は最も憎む。 世界観にあいまいさを持ち込む意図しか感じられないからだ。ピーター・フォンダ が旅に出る前に時計を捨てるシーンがあるが、時計こそ「制度」の象徴、さらに悪乗りして語呂合わせ的に言えば、社会が要求する「精度」の象徴だと思う。この行動をあえて映画に入れた意味を無視してはなるまい。

出来の悪い映画であるにせよ、この映画の持つ映像表現が大いにもてはやされたことは事実だ。特に日本のコマーシャル業界がパクリにパクったことも覚えておいてよいことだ。レンズに映る太陽光線の六角形のハレーション、移動撮影にR&Bを重ねるMTV風映像、アメリカの最深部の荒野の風景(とりわけ真っ直ぐな道!)。先ほども書いたが、この映画、ある意味で大変稚拙でイージーな映画だが、コマーシャリズムがまたまたイージーにもこれに飛びついたわけだ。もちろんこれは、映画の側に責任はない。クリエイティビティがコマーシャルの世界にあるかどうか、判定する上でよい試金石になる風俗史の一こまとして私は理解している。

出来の悪い映画であるにせよ、ここまでまとめて見ると、なーんだ、私は、この映画を比較的愛していることに今気づいてしまった。

(評価:★2)

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このコメントを気に入った人達 (3 人)Orpheus 浅草12階の幽霊 ロボトミー[*]

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