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[コメント] 大いなる幻影(1999/日)

あらかじめ底が抜けていることを知っているコップに水をそそぐ。
minoru

部屋の中で立ちすくむ武田真治の姿(身に覚えがある)はまるで底の抜けたガラスのコップのようだ。(あえて直喩)

コップが「コップ」である理由はそれが水を溜める道具だからではなく、水をそそがれるという行為を待っているモノだということによってかろうじて「コップ」と呼ばれるにすぎない。結果として水が溜まるということはコップにとって二次的なことだ。底が抜けていても水をそそぐという行為さえあればコップは「コップ」でいられる。ただそこにコップがあるから水をそそいでみるのだという単純な行為を「虚無」とか「無為」と名づけて嘆くことも悩むことも「コップ」にとっては贅沢な心情だ。

底の抜けたコップは水をそそがれても何も残らないことを知っている。でも水をそそがれたという痕跡は残された水滴によって知ることが出来る。そのわずかな水滴をとりあえず「愛」と名づけてはどうかとこの映画はささやいて終わる。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)Santa Monica ことは[*]

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