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[コメント] 十二人の怒れる男(1957/米)

改めて鑑賞し、この映画のアラがけっこう見つかった。でもやっぱり★5。その理由は
ケンスク

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







ほぼストーリーを忘れかけていたので、DVD借りてまた見ることにしました。それで改めて気付いたこと、それは、この映画って、実は大して意味性がないんじゃないかということ。

そこがすごく曖昧になっているだけに、評価が分かれ、議論の白熱する作品なのだと。

仮に、監督が民主主義や陪審制の是非みたいな熱いテーマをこの作品でかたろうとしていたとします。そうするとやはりどこか作品内で矛盾が生じているように思うのです。

たとえば、「陪審制はマクロレベルでものを考えねばならず、個人の利得を考えてはいけない、つまり合成の誤謬をしてはいけないのだ」という考えを軸に鑑賞すると、論理的な意見で有罪に立ち向かう無罪側の主張がさも正しいかのように見えますが、そうすると初めにヘンリー・フォンダが「被告に同情の余地がある」と発言することはきわめて私的であり、余計な部分となっています。そういった見地にたてば、ナイフをきわめて劇的な状況で取り出してみたりするなどの下手な小細工を使わずに、論理性だけで反論していけばいいわけですから。

それから、「証拠が決定的と必ずしも言えなければ、有罪にするべきではない」という主張が込められたとしていても、このストーリーは変です。途中に、陪審番号7番が、理由もないのに無罪に変えたことに対し、番号11番が咎めるシーンがありますが、上記の見地に立つと、無罪という意見に立つのに理由など要らないはずです。犯行の真相がわからなければ、無罪でかまわないわけですから。

それから、「陪審員はよく話し合うべきだ」という主張がなされていたとした場合です。これはヘンリー・フォンダ自身が発言している言葉ですが、彼自身、このことを発言したのは、犯行の信頼性に疑いがあることを初めから知っていたからとも考えられます。そうでなければスラム街までわざわざ行って、ナイフを買ってくることなどしないでしょうし。

なにやら長くなってしまいましたが、結局のところ、この作品に与えられている強いメッセージを考えていくに当たって、矛盾するというか、一貫していない点が多いんじゃないかなと思えるのです。

ではなぜ一貫していないのか。それは、この作品は実は娯楽作だからだと私は思うのです。

見ている人に驚きを与えようとしたがために、劇的なナイフの取り出し方をする。登場人物をひき立たせるために、やれ野球だとか、職業の話だとかを伏線に入れる。そうするとこのように主張の一貫性のないストーリーに納得がいきます。

この見解はあくまで間違っているかもしれません。まさにこの作品にでてくる事件同様あいまいです。でも、いろいろと堂々巡りしながら考えたうえで、犯行があったことの確実性がないのと同様に、何らかの主張がなされているというには、合理性はないんじゃないかということだったわけです。

なにやらよくわからない文章になってきました。書いている自分でもよくわからなくなってきています。最終的に言いたいことは、私はこの作品は娯楽作だと思っていて、そのことを評価したいということです。一貫性がないからこそ各人がいろいろと自分の思いのたけをストーリーに当てはめることができるし、わざとドラマチックにしているからこそ鑑賞していくにつれワクワクする作品に仕上がっているのだと思います。

最後に余談ですが、もし、自分が社会科の教師だったならば、こういった作品を生徒に見せたいですね。ストーリーが面白いから生徒は寝ないだろうし、楽しみながら法と政治というシステムについて学んでもらえ、考えてもらえる。そういう意味でも”面白く意義のある”作品なんじゃないかと思うのです。

(評価:★5)

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このコメントを気に入った人達 (1 人)山本美容室[*]

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