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[コメント] CASSHERN(2004/日)

すべて「経験不足」に集約されると思うのですが、物語を「語る」ことがへたくそだなあとおもう…。『カリ城』のネタバレあります。
uyo

ことほどさように、「物」を「語る」には、それなりのセオリーがあると思うのです。「ストーリー」ですね。一定の要素を、さまざまな順番で「語る」。

ファーストシーン、状況説明、キャラクター説明、人間関係、世界観の説明、エトセトラ…。そして、そこにようやく「ドラマ」が発生する。「ドラマ」とは、ある種の矛盾、違和感。問題。齟齬。『カリオストロの城』で言うところの「ニセ札だよぉ。よーく出来てるガナ」ですね。

はじめていきなりバイオリンを持たされて、「さあ、弾け」と言われても無理なように、いきなり老舗の和菓子屋で、ねりきりを作れと言われても無理なように、物を語るにはそれなりの熟練が必要なのではないかと思います。それは、幼少期のころからの並々ならぬ熱意も含めて。

きっと和明くんは、「本当に絵が好きねえ」と言われ、ビジュアルへの興味はあった子供だったと思いますが、「お話」への関心は人並みかそれ以下、「それで、それで?つづきはどうなるの?」と、目を輝かせて「物語」に我を忘れて「のめりこんだこと」は、そうはなかったような感じがします。(お話の形を追っているだけで、押したり引いたりがないから。)そして、そんな素養があって、さらに、くりかえしの鍛錬があって、はじめて流麗に「物を語る」ことは可能になるのではないかと思います。

物語を「流れ」としてはなんとか捕らえているけれど、本当の物語とは「構造」だと思うのです、よ。間違いなく本人は「エンターティメントの形を借りた芸術作品をめざしている」つもりのことはわかるのですが、それこそしっかりとした基礎基本があっての上です。ものすごい勢いで脳内補完しないとさっぱりわからないストーリーでした。しかしてみなさん、内容をかなり把握していてすごいです…。これが最近の流れなのでしょうか?

(評価:★2)

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