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[コメント] シークレット・サンシャイン(2007/韓国)

重い主題に正統派のアプローチ、それに応えた主演俳優の壮絶な演技 …本来は当然高い評価をしなければならない筈だが。…
死ぬまでシネマ

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

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観終わった後もモヤモヤ感が抜けず、帰り道で入ったペッパーランチでビーフペッパーライスを食べていたら涙が出てきてしまった。…

真摯な作品とは思うのだが、だからこそ自分の中に沸き立つ違和感を排除出来ない。登場人物に感情移入出来ず、自分が作品世界から取り残されてしまった気がする。

細かい所では子供や少女の素振りや親の叱り方にまで(映画の出来に)感心し、納得出来たが、何かが違う。宗教に対する違和感か韓国文化への違和感がその大半なのだとも思うが、ひょっとしたら子を失った彼女の彷徨に「俺はそうはならない、なりたくない」という強い拒否感が生じた所為なのかも知れない。

子を失うという事以上に親にとって悲しい事は無い、という。それはそうだが、彼女の苦しみは<自我>にあるように思えてならなかった。人間は人間でしかない、人間以上のものではない、と思う。この映画は主人公だけでなく数多くの<自我>が蠢いていて、観ていて非常に気が疲れた。<自我>の延長上としての<宗教>は西洋人にも共感し易いのかも知れないが、こんなのは俺の考える宗教じゃない。俺は子を失った時にこんな風に苦しみたくない。

韓国でキリスト教が強いのはこういう事か、とも思う。俺もキリスト教に興味はあるし何回か(たった何回かだが)教会に通った事もある。しかし俺の考えるキリスト教はこんな宗教じゃない。或いはこんなキリスト教が本当のそれだとしても、俺はキリスト教をこんな風には理解しない。

とはいえ何でもかんでも韓国との異文化性に結論する事にも躊躇する。この映画に出てくる人々の様な自殺企図者に何人も会っているからだ。彼らと話した時のやり切れなさと、この映画の観賞後のやり切れなさは似ている。

    ◆    ◆    ◆

ソン=ガンホが演じた<社長>は単細胞で一途だが、それ以上に謙虚で温和だ。俺の中では彼の存在は<神>との関連を必要としない。この映画では本当に彼が救いだった。

(蛇足かも…) シークレットサンシャインとは間違いなく「まなざし」の事だろう。解釈は色々だろうが、俺は「まなざし」は神のものではなくヒト(<社長>)のものであった、という意味だと解釈する。「神のまなざし」自体は否定されていないという解釈、<社長>の「まなざし」の中にこそ「神のまなざし」があるのだという解釈もあるだろうが、俺は神の「まなざし」ではない、ヒトの「まなざし」なのだ、という解釈だ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)ひゅうちゃん irodori

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