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[コメント] KT(2002/日=韓国)

阪本順治1957年生まれ、男、当時’70年代を原体験しているのか、していないのか、その経験とは裏腹の映画だった。日本映画としてはとても素晴らしい出来ばえだった。しかしやはり評価することはできない。
chokobo

日本人は表現がへたくそだ!表現することを控える文化の流れの中で、映画としての、あるいはスクリーンという映像の中での表現をする民族としては大変不適当な民族なのかもしれない。表現手法に限りがあった時代すなわち小津であり溝口であり成瀬であるこの映像表現は現在の日本映画には踏襲されていない、全く。

この導入部の訳もない目を細めなければ見ることのできないような字幕を並べる行為は、トーキーでカラーになった現代の映画には不要だろう。全く不必要だ。特にかような政治色の濃い映画の中で、言語(文字)でスクリーンに事象を写すなどという行為そのものが邪道だと思う。

そしてやはりこの現実である。世界的にはあまり知られていない日本における人種差別問題。朝鮮半島問題は語るに難しく、なかなか手を加え難い恥部である。女が男を部屋に招く、いやいやながら部屋に招く、そして自分の裸を見せる。キズの残る裸を男に見せる。それがスクリーンに正面から写されるのだ。恥ずかしい。こういうシーンには全く感動できない。あの『美しき諍い女』でさえ画面に作品は映らなかった。ここどは正面からキズを写している。これを衝撃と呼ぶのなら、別に映画館に人を集めなくても十分できる。NHKにでも任せておけば良いのである。

そしてそして何と言っても”闘争”のあり方だ。この『KT』事件を境に日本は急激に変化を遂げる。人種、自衛隊、戦争、そしてこの映画でも語られているアメリカである。誰に対する闘争なのかがわかっていない。韓国人か日本人か、個人か、アメリカか、誰なのだ。これは’60年代、’70年代を通して争われた”闘争”そのものであるはずだ。ここではそれが明らかにされなかった。

かつて大島渚が戦ったあの闘争を思えば、この映画は一見真実に近づこうとしているが、結果としては茶番だ。『飼育』、『少年』、『儀式』などを経由して現代に至る闘争。勅使河原が流派を逸脱して獲得した『砂の女』や『燃えつきた地図』などの自己喪失にはたどり着かない。

(評価:★1)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)死ぬまでシネマ[*] Linus[*]

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