[コメント] 悦楽(1965/日)
既成のありふれた物語を、馴染みのスター俳優を使って”拙く”描くことに何の意味や革新性があるというのだろう。冗談も傲慢もほどほどにして欲しい。
戸浦六宏が硫酸片手に女を脅すシーンについて、親父から「あれは当時、そういう事件があったのだ」と説明を受けたが、なるほどこれはそういう通俗的な作であったのか、と納得した。
作家が時代と添い寝することについて、俺はかなり寛大な方であるが、それは『日本の霧と影』や『絞死刑』のように、真っ向から向かい合った場合に限ってのことであり、それがこういう風に、まるでお笑い芸人の時事ネタコントみたい軽率に、テーマからも物語からも剥離して何の脈略も無唐突に取り沙汰されると、どうにも痰が絡み、吐き出したくなる。それは映画作家の仕事ではないのではないか。
初の原作もの『飼育』から新境地『白昼の通り魔』への、過渡の作品として、ある程度の意義があるのかも知れないが、映画自体がくだらなければそんなものはどうでもいい、少なくとも俺には。
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