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[コメント] 旅芸人の記録(1975/ギリシャ)

手法や補助線に過ぎぬ古典悲劇が無限に拡大・喧伝され、全体に横たえた悲痛なギリシア近代史がほぼ完全に看過されてしまったことは、芸術家アンゲロプロスにとっては幸でも、社会派アンゲロプロスにとってはこの上も無い不幸だろう。
町田

民族の悲劇を知るには人間であれば足り、ユダヤ程ではなくともイスラム映画くらいには何かを伝えることが出来たはず。いやむしろ、この一見物言わぬ民族映画は、少なくとも我々日本人からは、他のギリシア作家を見たいと願う欲求と、ギリシア近代史について識る機会を、30年ものあいだ簒奪し続けてしまったように思える。私は遅れて来た世代であり、幸運にもイランやアフガンなどの民族映画を先に知ることが出来た。そして今やインターネットを介して何でも直ぐに調べることが出来る時代である。ギリシア近代史は私が想像していた以上に過酷で、不謹慎な言い方をすれば、抜群に面白い。私は今、私の中に単なる知識として詰め込まれてしまった”アンゲロプロス的シークェンスショットの偉大さ”なるお題目的催眠術から、完全に覚醒する機会を窺っている。(未だ半分はベッドの中であるが。)私は云うまでも無く映画の技法を軽んじているのではない。技法は単に技法としてではなく、意図と成果を含めて論じられるべきだと考えている。その技法が撮り収めた、あるいは撮り収めなければならなかった、もしくは「撮り収めるだけで充分だった」、代弁の聞かない言葉、代替の効かない景観、そして究極的に切迫した空気を、より即物的に、より積極的に、全感覚を動員して、私は確認し直したい。「本当は何が映っていたのか」を確かめたい。他の作品でそれが本当に有効に働いているのかも当然に含めて。私ようやく掛け布団を取り去ったところである。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)けにろん[*] ゑぎ

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