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[コメント] 11′09″01 セプテンバー11(2002/英=仏=ボスニア・ヘルツェゴビナ=エジプト=イスラエル=メキシコ=日=米)

今村昌平監督の第十一話が圧倒的に面白い。しかし、それは単に私が今村と同じ文化圏に暮らし基本的に同じ価値観を有しているからにすぎないからだろう。他の作品を心の底から理解し得ない自分という存在に気付くところに、このオムニバスの意義がある。
ぽんしゅう

■第一話・・サミラ・マフマルバフ監督(イラン)

子供たちに事件の重大さと死者に対する悼みを懸命に伝えようとする若い女教師。幼さゆえにそれを意に介さない無邪気な子供たち。このギャップが埋まってしまった時の方が恐ろしい。

■第二話・・クロード・ルルーシュ監督(フランス)

この深刻で難解な課題を全て愛の問題に収斂させてしまうところが、いかにもフランス的というかクロード・ルル-シュ的。これがヨーロッパの歴史に根ざすゆとりか。

■第三話・・ユーセフ・シャヒーン監督(エジプト)

アメリカの若い兵士と懸命に対話を試みるインテリアラブ人の苦悩。その対話の相手が今まさにアメリカを動かしている者ではなく死者でしかない点が虚しい。

■第四話・・ダニス・タノビッチ監督(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

女たちの静かで清廉なデモ。あまたの戦火にさらされ続けた歴史を持つ民族の戦争に対する意志の強固さがにじみ出る。私を含む日本人から最も遠い感覚かもしれない。

■第五話・・イドリッサ・ウェドラオゴ監督(ブルキナファン)

この作品群の中にあって唯一のコメディタッチは心が和むが、真剣にビンラディンを追い求める少年達に込められた皮肉には背筋が寒くなる怖さがある。

■第六話・・ケン・ローチ監督(イギリス)

チリからの亡命監督がアメリカに抱くアジェンデ政権への謀略と倒壊工作の恨みは凄まじく激しい。こうしたアメリカ政府に対する不信と不快感が世界中に渦巻いている限り何も好転しない。

■第七話・・アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督(メキシコ)

音声のみで構成された11分からは、やはり何も生まれなかった。映画作家として逃げていると言われてもしかたないだろう。

■第八話・・マモス・ギタイ監督(イスラエル)

正直なところどう解釈して良いのか分からない。ワンショットで撮られた自爆テロ現場の狂騒は自分達もニューヨークの現場と同じ時間、同じ苦悩を共有しているというアピールなのだろうか。

■第九話・・ミラ・ナイール監督(インド)

信ずべき宗教により息子に突然テロリストの嫌疑がかけるという市井の母親を襲った悲劇は、自身のアイデンティティと生活の意義を同時に失いかねない。想像を絶する苦悩だ。

■第十話・・ショーン・ペン監督(アメリカ)

再びもたらされた日の光は、忘れていた生きる喜びとともに老人を妻の喪失という現実へも引き戻す。あの老人はユダヤ人なのだろうか。この話もよく理解できなかった。

■第十一話・・今村昌平監督(日本)

神の名の下に戦わなければならない人間は、神の使い「白蛇」に身を託すしかなかった。しかし蛇は蛇であり、もう人間ではない。人間による人間の世界には「聖戦ナンカ有リハシナイ」。

(評価:★4)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)夢ギドラ[*] 直人[*]

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