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[コメント] ミリオンダラー・ベイビー(2004/米)

残された人生の時間を、悔悟の念とともに漂うように過ごす男。残された青春の時間を、一気に駆け上ろうする女。二人の間にバックリと開いた傷口のような時間の溝を埋めることができるのは、二人の痛みが最も分かるエディ。痛みによって痛みを繕うことの恐ろしさ。
ぽんしゅう

**ネタバレ注意**
映画を見終った人むけのレビューです。

これ以降の文章には映画の内容に関する重要な情報が書かれています。
まだ映画を見ていない人がみると映画の面白さを損なうことがありますのでご注意下さい。







誰かによって、誰かの痛みが消えたわけではないのだ。まさにボクサーのように傷つけ、傷つきながら生きていく3人の痛みがじわじわと伝わってくる。見事な映画だった。

自分が痛みを感じるとき、必ず相手も痛みを感じているものだ。人は、若ければ当然成長する。成長すれば傷もおのずと癒されよう。しかし、フランキー(クリント・イーストウッド)は、すでに年老いていた。老年を迎えた者が傷つけ、傷つくのを見るのは、あまりにも辛い。

フランキーの年齢まで過去の痛みを抱え込み、そしてまたマギー(ヒラリー・スワンク)という新たな傷を抱えてしまった人間は、最早「神のようなもの」になることでしか、そこから逃れることは出来ないだろう。

フランキーも、一瞬ではあるが、マギーを再起不能に追い込んだ責任をエディ(モーガン・フリーマン)に求めるという人間らしさ(弱さ)を見せる。しかし、結局は最も救いのない方法でマギーを救うという「神のようなもの」の道を選択してしまった。なんと真摯な人なのだろう。

素晴らしく純粋で無垢な物語である。しかし、この物語が好きかと問われれば、私は素直にうなずくことが出来ない。フランキーの死は、暗示はされても具体的には描かれてはいない。もし、どこかで生きていたとしても、彼は「神のようなもの」としてして生きるしかすべはない。それとも、死んで本当に「神」になったのだろうか。

人間は生きている限り「人間」であり続けて欲しいと私は思う。神や仏になるのは死んでからで良いのだ。人間でいる限り、ずるくてダメな奴でいられのだ。人間はもともと、そういう生き物なのだから。生きているうちに神になるほど辛く、苦しいことはないはずだ。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (2 人)リア[*] ジョー・チップ[*]

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