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[コメント] 疾走(2005/日)

死を実感することなくその意味すら曖昧な少年にとって自ら命を絶つことがリアルな行為であるはずがなく、であるなら残された道は生かされつつ生きるしかない。だから、平成の少年少女たちは執拗なまでに「人とつながること」を求め続けるのだろう。
ぽんしゅう

60年代の日本映画で描かれた少年たちのモチーフは、一言で言えば「抵抗と破壊」であった。その衝動は70年代に入り、やがて行き場を見失ない迷宮にさ迷い込んだように「彷徨と諦観」に変わる。そして、狂騒の80年代をへて世紀末を迎えた90年代以降、描かれる少年少女たちの姿は満ち足りたモノ社会の中で、満たされぬヒトとの関係を探し続ける「浮遊と希求」へと変化する。

80年代以前にあって、それ以降なくなったもの。それは、「死」に対するリアリティであろう。生まれて死ぬということこそ、人が人として存在するという実感であるはずだ。かつては生活の中に存在した「死」がいつしか社会の外へと隔離され大人ですらその意味を忘れ、子供たちに伝承される「死」のイメージは極めて曖昧なものになった。

死をイメージできない子供たちとは、すなわち生きていることが実感できないまま心と身体の成長過程を過ごさなければならない者たちである。そんな子供たちが強迫観念にかられたように「人とつながること」を執拗に求め、その一方ではつながりが絶えることに恐怖しながら弱者を作り上げイジメを生み出してみたり、あるいは過度の思いこみと一瞬の爆発でいとも簡単に人の命を奪う過ちを犯してしまうことは想像に難くない。

今という時代と、そこで成長しなければらない運命を持った少年少女の姿を懸命に描こうとしたこの作品の真摯さを素直に賞賛したい。惜しむらくは、テーマを物語にまで昇華しきれなかった脚本段階での未整理が悔やまれる。

最後になったが、堕ちた現代のマリア・アカネを好演した中谷美紀が印象に残ったことを書き添えておく。『電車男』のエルメスからこの汚れ役アカネまで、幅広い役を丁寧にこなせる日本映画にとって貴重な女優である。

(評価:★3)

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このコメントを気に入った人達 (4 人)sawa:38[*] 水那岐[*] づん[*] リア

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