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[コメント] サマリア(2004/韓国)

キム・ギドクの作品の中では本作は異質なものを感じる。その一つは演出のほとんどが監督特有の形式美ではなく具体的表現で現実味を感じさせること、もう一つは道徳的なメッセージが込められていること。
スパルタのキツネ

**ネタバレ注意**
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表現の具体性・抽象性という意味では、監督それぞれの作品のあるポイントに象徴されているように思う。『魚と寝る女』の葦林、『悪い男』の砂浜、『春夏秋冬そして春』の湖、『サマリア』の河原を比較してみれば一目瞭然であろう。『サマリア』ではヨジンの“夢”として監督の水への抽象的美意識を垣間見ることが出来たが、イメージ的な映像はこの場面だけだったので一連の作品では一番判りやすいエンディングだったように思う。

最後の親子2人の旅路の結末は息がつけないほどであった。手巻き寿司は無理心中を、山道を走り、ヨジンが前かがみで岩を取い除いた車は事故死を、山小屋は父の自殺を思わせるものがあったが、そうではなかった。ほっとするような、憐れみを感じるようなエンディングであった。 終わってみると、一人ぼっちとなったソジンと、チェヨンの自殺的逃避が、現代の若者を象徴しているようで印象に残る。

道徳的なメッセージを感じたポイントとしては、仏教を母性的なものとして、キリスト教を父性的なものとして描いていたように思われる点。キリストも仏教も戒律で姦淫を律している。両者をざっくりと比べると、キリスト教の方が姦淫を想像することさえをも同じ罪とみなしているように教えは厳しい。これは仏教の煩悩に近いように思われるが、仏教の場合、悟りによって煩悩から解放されるとしており寛容である。

4人に1人がキリスト教徒と言われる韓国。キム・ギドク(金基徳)監督もその名前から想像するにキリスト教徒、もしくはそういった家に生まれた人であるように思われるが、仏教的な煩悩と倫理を題材とした『春夏秋冬そして春』の作家性とは対照的に、『サマリア』は仏教的素養を基にした監督本人のキリスト教的価値観から来ているように思われる。表現美に溢れた他作に比べ描写が日常的具体的なのも、作家性よりもメッセージ性を重視したためだろう。

誰もが知っている。女子高生が中学生が援助交際をしそれを受け入れる大人がいるということを。人は経験せずとも知ることは出来るのである。それは、それを忌避した少女、受け入れた少女としてのヨジンの視線であり、殺人課の刑事、殺人者の親父としての視線であり、作者キム・ギドクの視線でもあるのだろう。

(評価:★4)

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